アジャイル環境センシング

データを媒介にしたコミュニケーションで
「測る/ 測られる」の関係を超える

IoTデバイスを用いた環境センシングの研究では、データを介した人とのコミュニケーションが重要だと語るのは、「アジャイル環境センシング」の研究に取り組む岸野泰恵さん。データという客観的なファクトを仲立ちとしたコミュニケーションや人とのつながり方について伺いました。

岸野泰恵
Kishino Yasue

NTTコミュニケーション科学基礎研究所、協創情報研究部 主任研究員。2009年入社。研究分野はセンサネットワーク、ユビキタスコンピューティングなど。

環境センシングのアジャイル開発から
見えてきたもの

—岸野さんのご専門について教えてください。

岸野:センサネットワークやユビキタスコンピューティングが専門で、特に、環境センシングの研究を行っています。多くのセンサをさまざまな場所に設置して、無線で24時間データを収集し、分析するものです(写真1)。目に見えていないものやデータ化されていないものをデータ化することで、今までよくわかっていなかったことを明らかにしたり、その場で起きている課題を解決することに取り組んでいます。

—具体的にはどのような方法で、研究をされているのですか?

岸野:研究テーマと条件が合う場所や、課題解決の研究依頼があった現場にうかがい、センシングする内容に合わせたデバイスを用意して設置します。その際には、最初からすべてを設計してデータを取るわけではなく、何度も検証を重ねながら改善を続けます。この方法を私たちは「アジャイル環境センシング」と呼んでいます。

—「アジャイル」というキーワードが入っている理由は何でしょうか?

岸野:現場に多数のセンサを配置して24時間モニタリングしようとすると、条件の整った実験室とは異なり、一度でうまくいくことはほとんどありません。現場に何度も足を運ぶのは大変なので、理想的には、センサの設定やプログラムなどを遠隔で変更できるようにし、試行錯誤しながら計測の精度を高めていくというアプローチをします。ただ、実情は、すべてがうまくいくわけではなく、何度も現場に足を運ぶことになります。大変ですが、それはそれで利点もあって、実験のたびに現場の担当者とのコミュニケーションが生じます。そうやってセンシングを、現場の状況や担当者とのコミュニケーションを通して、素早く柔軟に改善していくことを「アジャイル」と表現しています。

環境センシングで利用しているセンサノード

【写真1】 環境センシングで利用しているセンサノード。小型センサと無線モジュールで24時間センシングし、実世界の状況を分析。設置場所は屋内外を問わない。

センシングから生まれる
コミュニケーション

—アジャイル環境センシングの実例と、そこで生じたコミュニケーションについてお話しいただけますか。

岸野:はい。まず、長野県佐久穂町との共同実験で、「トルコキキョウ」という花を栽培しているビニールハウスでの事例です。トルコキキョウは結婚式のブーケなどにも使われるポピュラーな花ですが、寒さが苦手で温暖で乾燥した環境を好む植物です。佐久穂町は日照量が多くトルコキキョウの栽培に向いているのですが、標高の高い冷涼地なのでビニールハウスによる温度・湿度の管理が欠かせません。そこで、栽培農家の方にお願いしてセンサを設置し、生育環境をセンシングしました(写真2、図1)。

—農家の方はデータを見られるのでしょうか?

岸野:データを可視化、記録するソフトも開発し、自宅にいながら毎日の変化を観察できるようにしました。すると、ビニールハウスのドアの閉め忘れなどもデータからわかるようになりました。農家の方からは「記録に残るから最近しっかりドアを閉めるようになったよ」とコメントをいただいたり、また、研究者が農家に電話して、「ドアが開いてますよ」とお知らせすることもありました。センサが置いてあるだけですが、そのデータを通じて研究者と農家の間に妙なつながりが生まれました。

—データの可視化によって農家の方の行動に変化はありましたか?

岸野:これまでは何となく「この畝には日が当たらない」と思い込んでいたところがデータで見ると実は日が当たっていたとか、逆に、思っていたとおりだったこともありました。データで照度や温度を目にすることで、その畝の環境に合った花に植え替えるなど、データから新しい行動が生まれることもありました。データがあることで、起きていることに対する実感の強さ、行動に対する説得力が生まれているのかなと思います。

また、データを間に挟むことで、私たちからも「このデータの変化では、どんなことが起きているのですか?」と質問しやすくなって、農家の方からも普段あまり人に話したことがないような作業の内容を、詳しく話してもらえるようになりました。データという共通項があることで、通常よりも早く仲良くなれた印象です。

トルコキキョウのビニールハウスでのセンシングの様子
データのグラフ

【写真2、図1】 トルコキキョウのビニールハウスでのセンシングの様子と取得したデータのグラフ。夏場は20度を下回らないように温度と湿度を管理している。ハウス内外の両方を計測しているため、内部の温度や湿度の変化でハウスのドアの開閉にも気付くようになったという。

希少魚からゴミ収集車まで
センシングする

—そのほかの事例について教えてください。

岸野:「ニッポンバラタナゴ」という希少魚のモニタリングをしました。こちらは近畿大学農学部との共同研究です。花と魚ではやり方が違うように思うかもしれませんが、使用したシステムはほぼ共通のものです。生息する池の溶存酸素量や水温を計測するセンサと水中映像を記録するカメラを追加して、生育環境の観察を行いました。(図2)

希少魚のモニタリング

【図2】 照度と魚の数、水中の酸素量のモニタリング結果から、産卵を行うタイミングなど生態の解明に貢献できた。データを介することで異なるジャンルの研究者と対話できたことも、環境センシングで得られた重要な成果のひとつだ。

—酸素量を計測する目的は何でしょうか?

岸野:ニッポンバラタナゴには、二枚貝の中に産卵するという特徴があります。二枚貝の生育には水に溶けている酸素の量が重要なので、それをセンシングすることで産卵できる環境かどうかを確認しました。これまで実施していた週に1回程度の測定ではわからなかったのですが、継続的に測定することで溶存酸素量は1日の中でも大きく変動していることがわかりました。さらに、従来は生物学者の観察や経験に頼っていたニッポンバラタナゴの生態もカメラの映像で何度も見られるようになったので、生態の解明に貢献できたのではないかと思います。

—ここでのコミュニケーションはどのようなものでしたか?

岸野:分野は違えど研究者同士なので、話自体はスムーズに進みました。基本的にはこちらでデータを下処理して傾向がつかめそうなグラフを持っていって会話する流れでした。例えば、天候と数日後の水温の変化に規則性らしきものがある理由を尋ねると「池には湧き水も含まれているので、周囲に雨が降ると時間差で水温が下がるのでは」という話になり、それを受けて、こちらも降雨量のデータもそろえるようにしました。もっとシンプルな話として、水中の魚の映像はずっと見ていたいほど魅力的で、私も異分野の研究に対する関心が高まったと感じています。研究者の方は、ご自身の研究テーマに関心を持っているとわかると、自分からいろいろなことを話してくれる傾向がありますね。

—より大規模なセンシングも実施されていますね。

岸野:慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスにある研究室と共同で、神奈川県藤沢市のゴミ収集車40台ほどにGPS やモーションセンサを搭載するという実験も行いました。これまで収集車が何kg のゴミを運んできたかといったデータは集められていたのですが、どの車がどの地区でどんなコースを回っているかという情報は記録されていませんでした。ただ、本件は実験の規模が大きく、収集車を運転する作業員の方全員と直接やり取りできないこともあって、当初は現場から「業務を監視されているのではないか」などセンシティブな反応もありました。

—その流れはどこかで変わったのでしょうか?

岸野:話し合いを重ねる中で、地図上で収集車の動きやゴミの量などを可視化するツールをお見せしました(図3)。自分たちの仕事の成果がこれまでにない形で表現されたことに興味を持ってもらい、現場の方も画面に表示される車の動きを食い入るように見つめていたのが印象的でした。データを仲立ちとしたやり取りから、徐々にコミュニケーションがスムーズになっていったと思います。

収集車の動きが地図上のアニメーションで確認できるソフト

【図3】 収集車の動きが地図上のアニメーションで確認できるソフトを作成。夏場にペットボトルゴミが増える地域と年齢の関係など、現場の直感を裏付けるようなデータが得られた。

環境センシングを
アジャイルに進めるポイント

—センシングをうまく進めるためのコミュニケーションのポイントは何でしょう?

岸野:まず、問い合わせがあったら、なるべくスピーディにお伺いするようにしています。そして、汎用的なセンサをあらかじめ作っておくことも重要で、それをサッとカスタマイズして測定を早めに開始するのもポイントです。データの精度が粗い状態でも、相手のモチベーションが高いうちにそのデータを見てもらい、改善を繰り返します。その過程を共有することで相手との人間的な関係性も深まります。

これまで必要に迫られてやっていたところもあるのですが、振り返って考えると、測定データという客観的な数字を媒介にして対話することが、現場との信頼を築くのに役立っていた実感がありますし、データを通した質問によって、相手自身も状況に対する理解が深まっていたのだと思います。アジャイル環境センシングで行っている、迅速なデータの可視化とデータを介した対話は、相手の警戒心を早期に解消し、深いつながりを作るきっかけになるのではと思います。


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