社会学の視点から見えてくる家族や子育ての変化
田渕六郎
Rokuro Tabuchi
上智大学総合人間科学部社会学科 教授。家族社会学・家族人口学および、それらに関連する社会政策研究を専門に行う。主たる研究テーマは、人口変動社会における世代間関係の変容を比較社会学的視点から明らかにすること。現在、JST ムーンショット型研究開発事業 目標9「Child Care Commons : わたしたちの子育てを実現する代替親族のシステム要件の構築」(PM:細田千尋・東北大学)の課題推進者も務める。
社会学の視点から見る近代化に伴う家族戦略の変化
—田渕さんが家族の研究を始めたきっかけについて教えてください。
田渕六郎(以下、田渕):私が社会学を学び始めた時点で関心があったのは、実は「村(ムラ)の変化」でした。そこから、「村」の研究をしていく中で、「村」と「家(イエ)」というものが密接に結びついていることや、それが自身の研究の関心と重なってきたこともあり、「村」から少しシフトして、「家」や「家族」といった方向に関心が移っていきました。そこから30年ぐらい、日本の家族をフィールドとして、家族の社会学的研究をテーマに取り組んでいます。特に、現在私たちが当たり前と考える近代社会の仕組みができてくる中で、家族のあり方がどう変化したのかということに焦点を当てています。
例えば、かつて「家」という仕組みがあり、今もそれはなくなってはいませんが、そのあり方や機能は大きく変化しています。かつては3世代で世帯が形成されるのが珍しくありませんでしたが、今では少数派になりました。それがどういった要因によるのか、地域によってどう違うのかといったことをさまざまなデータを使って研究してきました。
—家族の研究の中で、キーワードとされている概念はありますか?
田渕:私が1990年代から強調してきた視点の一つに、家族の戦略性という概念があります。かつての「家」という考え方では、血縁以外の人も含めて「家」を継ぐことが可能で、家業を継承し、持続していく上で合理的な仕組みでした。しかし、1950年代頃からは、「家」を継ぐのが血縁者に限られるようになり、家業の再生産としての役割も希薄になっていきます。その時点で「家」という概念がなくなってもおかしくなかったのですが、「〇〇家」の墓とか、形を変えて残っている。それはなぜなのか考えている中で、「戦略」という概念を導入できないかと自分は考えました。つまり、「家」という仕組みは、その構造としては同じように見えても、果たす機能が変わってきていると。
子どもの視点から見ると、かつては親との同居には親の家業を継ぐ、あるいは親を扶養するという意味があったのですが、今では家賃や地価の高い都心部だと経済的な理由のほうが大きくなっている。要するに「家」は形式的には保たれながらも、人々が家族関係に求める意味合いは変わりつつあって、それぞれの利害というか、戦略が変化してきているということを、いろいろなデータを用いながら指摘してきました。
—家族による子育てのあり方も、昔と今とでは、その意味合いが変わってきたのかもしれませんね。
田渕:はい。そもそも、家族がしつけや養育の主たる責任を担うという状況は、たかだかここ50 ~ 60年に広まったことでしかありません。それまで多くの人たちは、自分の生まれた家や地域に縛られた環境で生きてきたわけです。そこでは、村の子どもや若者同士で、振る舞い方とか、仕事の仕方を学んでいました。親とか祖父母が果たし得た役割は、ものすごく限られたものでしかなかったのです。それが人々の移動が当たり前になり、急速な近代化や都市化に伴って核家族化が進み、基本的に自分の親や限られた親族しかいない状況に教育制度が加わった「核家族+学校」という仕組みの中でやっていくことになりました。
しかし現在、グローバル化とかダイバーシティといったことが強調される社会において、若者に期待される資質が多様化し、これまでの「核家族+学校」だけでは対応できない部分が生まれてきています。むしろ、いろいろな大人とさまざまな関係を持って成長していける機会が、相対的に重要になってきているし、親もそのようなものを期待しているのではないかと感じています。
「親+子ども+多様な大人」という場作り
—「核家族+学校」以外で、社会の中で多様な大人が子どもに関わるにはどうすればよいでしょうか?
田渕:これも家族研究の大きなテーマの一つですが、家族を持たない人がすごく増えてきました。結婚しないで生きることが当たり前になってきて、子どもや孫がいないというところまで範囲を広げると、もっとその割合が高くなっています。ただ一方で、多くの人たちは、自分が生きた証ではないですが、自分の影響力を、生物学的に自分の子孫を残すのとは別の形で残していきたいとも考えていると思います。芸術家であれば、自分の作品に相当するのかもしれません。エリクソンという心理学者が強調した言葉で「世代継承性(Generativity)」という概念がありますが、生物学的に子どもを産み育てるということにとどまらず、職業や地域活動などを通じて社会に対して貢献することで次の世代を育てていくということです。私は、それをとても大切なことだと思っています。
もともと「村」の広い人間関係の中で、人々が自分の生きた証を残していた時代が、比較的最近までありました。ですから、村の時代に戻ることはできないにしても、そういった世代継承性について村が培ってきたあり方から学びながら、現代に合わせて再設計、実装していくことは可能なのではないかと思います。世代をつなぐ取り組みにしても、家族に閉じている必要はありませんし、実際、高齢者が小学校などで行われている世代をつなぐ試みに参加してる例は少なからずあります。
—その一方で、血縁をどう捉えたらよいのかも重要であるように感じます。
田渕:そうですね。日本社会の特徴として、血縁に対する強いこだわりがあります。実際、日本はアメリカと比べて非血縁養子が非常に少ない。そんな中で、社会としては、血縁だけで子育てを行うことが難しくなってきています。血縁をどうやって相対化するか、あるいは血縁にとらわれない開いた関係性をどう作るかも重要な課題でしょう。
また、世代を超えて関わること自体が楽しいと感じられることが何より大事ですし、子どもは親には見せない顔を他の大人には見せるところがあります。他の大人が関わることで親が子どもの知らない側面を知ることもありますし、親だけでは引き出せない子どものポテンシャルもあります。そもそも、子どもは親の持ち物ではなく、子どものポテンシャルを開花させるのが親のすべきことであって、そのときに、親だけでは絶対にできないことがあるのだと。こういった気付きの場を作っていくことも、同時に大事なのかなと思います。
地域社会の変容を研究する田渕氏は、地域に入ってフィールドでの地域生活の調査も行っている。写真は、学部ゼミでの地域調査(島根県海士町、2023年8月)。