雑誌『WIRED』日本版の編集長に聞いた

未来をより良く生きるための
“LITERACY”

1993年にアメリカで創刊された『WIRED』は、デジタルテクノロジーやカルチャーに関する最先端のテーマを深掘りし、われわれに提示してきた雑誌です。同誌は、人類が現在置かれている状況をどう捉えているのか? 世界を理解する上で重要なLITERACYとは何か?『WIRED』日本版の松島倫明 編集長に話を聞きました。

松島 倫明
Michiaki Matsushima

未来をプロトタイプするメディア『WIRED』の日本版編集長としてWebメディア/雑誌/ WIRED 特区などを手掛ける。NHK出版学芸図書編集部編集長を経て2018年より現職。東京都出身、鎌倉在住。

LITERACYとは世界や未来を記述する方法

—『WIRED』以前は書籍編集をされていたそうですね。

松島:はい。主に翻訳書です。注力していたのは、'90年代から米国を中心に広がったデジタルカルチャーに関する本で、カッティングエッジな領域にいち早く触れることができました。当時US版『WIRED』編集長だったクリス・アンダーソンの書籍の日本語版の編集にも携わり、日本の『WIRED』編集部ともやり取りしていました。そして現在は、『WIRED』日本版の編集長を務めてます。年4回、雑誌も発行していますが、毎号ワンテーマで、書籍っぽい作りになっています。テーマは「DIGITAL WELL-BEING」や「MIRRORWORLD」など、大きなワードにすることが多いですね。

—最近だとVOL.36の「FUTURES LITERACY」が印象的でした。

松島:LITERACYは、もともとは“読み書き”といった基本能力のことですが、突き詰めると、世界を記述する方法だと思うんです。それは言葉でもいいし、数字でもいいし、プログラミングかもしれない。読み書きに限らない、世界を認識するやり方ですね。特にパラダイムが変化するときには、新しいLITERACYでそのパラダイムを記述しない限り、僕らは本当の価値や影響を認識できないと思うんです。そういった発想のもと、ちょうど2020年代に入るところで、「新しい世界の記述方法はどうしたら手にできるのか?」と考え、「FUTURES LITERACY」というテーマにしました。

図

2020年3月発行の『WIRED』日本版Vol.36では「FUTURES LITERACY」と銘打ち、2020年代を見渡し創造していくためのLITERACYについて特集。2020年代に必須の新しい学問30なども掲載された。

テーマ1「Mirror World」

—2020年12月に開催された『WIRED』のカンファレンスのタイトルも「FUTURES LITERACY」でしたね。

松島:2020年代を記述するLITERACYとして大切だと編集部が考える、3つのテーマを掲げて開催しました。

1つ目は「Mirror World」。人類はこれからメタヴァース、さらにはデジタルとフィジカルが重なり合ったMirror Worldに越境していくというテーマで、次の10年で起こる変化だと考えていたのですが、2020年のコロナ禍においてその越境が一気に加速しました。この越境は、人類の出アフリカや新大陸への到達ぐらいの文明的インパクトがあると思います。現実とオンラインとで、もう一度文化や文明がミックスされ、まったく新しい世界像が生まれてくるのではないかと。その端緒である2020年に、Mirror Worldを考察しておきたいと考えました。

—Mirror Worldは、複製された世界ととらえればいいのでしょうか?

松島:プレイス(場所)をはじめとするあらゆる物理的なものが複製されます。例えば、金閣寺の複製を作れば、その中に世界中の500万人が、VRなどの技術を利用して一度に入ることができます。複製というと、偽物で価値が低いイメージがあるかもしれませんが、かつて舞台芸術だった音楽や演劇は今や複製芸術になっていますが、僕らはそれを当然のものとして享受しています。それと同じことがMirror Worldでも起こるでしょう。

テーマ2「Well-being for The Earth」

松島:2つ目は「Well-being for The Earth」です。重要なのは“私”ではなく“私たち”のWell-beingという意識です。そして“私たち”を『WIRED』が考えると、当然ながらマシン、ロボット、AIは含まれるのか?さらには、自然や生態系は含まれるのか?と議論は広がります。

—それ故の“for the Earth” ですね。地球のためということは、やはり環境も射程圏内に入っているのでしょうか?

松島:そうですね。ただ気候変動の話となると「自然に還ろう」といった、今の生活スタイルを手放すような話になることが多い。もちろんそれも大切ですが、もはやそれだけでは足りません。例えば、CO2や再生エネルギーについては、エンジニアリングやサイエンス、テクノロジーなどを含めてちゃんと考える必要があります。それが『WIRED』が取り上げるべき領域であり、使命だと考えています。

—テクノロジーと環境というと、リモートワークの浸透も見逃せないトピックですよね。

松島:リモートという選択肢ができたことで、エネルギーを消費して移動する必要が減りました。さらには自然の豊かなところへの移住を考え始めたといった話も聞きます。しかし、現在の文明レベルのままで郊外や地方に人々が移動したら、環境への負荷が大きくなってしまう。その意味では、都市にみんなが集積して暮らしたほうが効率的とも言えます。例えば、リモートワークを支えるためにフル稼働するサーバーを再生可能エネルギーに切り替えることは重要です。そうやって、地球のためのウェルビーイングと人間のウェルビーイングをどうやって重ね合わせていくのかが、次の10年の課題なのだと思います。

テーマ3「Sci-Fi Prototyping」

—3つ目の「Sci-Fi(サイファイ) Prototyping」は、『WIRED』らしいテーマですね。『WIRED』そのものも、いわば未来をプロトタイピング(試作/検証する)するメディアのように感じます。

松島:はい。『WIRED』だからこそできる未来予測とは、SFのフィクショナルな想像力によって、既製の概念を揺さぶるプロトタイプを作ることではないかと考えました。そしてSFの良いところは、人間が描かれるところだと思います。テクノロジーの最前線というと、VRにしてもスマートシティにしても、どうしてもデバイスや仕組みの話になってしまう。でも実際には、さまざまな技術は人間との関係性の中に存在します。物語を動かす中で喜怒哀楽を感じる人間が描かれることで、見る側の想像力が膨らみ、「理論的には正しいんだけど、これで本当に幸せになるのか?」などと考えられるわけです。

—SFは未来を予測するのに適したナラティブということですね。

松島:ええ。SF作家の中には「SFは未来のリハーサルで もある」と話す方もいます。言い得て妙ですね。

2021年の元日に「編集長の言葉(EDITOR'S LETTER)」で、今がインターネットがついに始まった時代だと書きました。例えば22世紀に歴史が書かれるとすると、「プレパンデミックの時代には、ほとんど誰もインターネットを使っていなかった」と書かれるように思うんです。僕らはけっこうネットを利用しているつもりでも、後世の人からは、「ネットがあるのに、なぜ通勤したり、ウイルスを持ち寄って病院に通ったりしていたのか」と問われるでしょう。つまり、インターネットという技術が持つポテンシャルをまったく使えていなかったわけで、リモートワークが浸透し始め、Mirror Worldへの越境がスタートした今が、未来から見ると本格的にインターネットを使い始めた時期とみなされる可能性があります。まさに、われわれは今、パラダイムチェンジの真っ只中にいます。今こそ、世界や未来を記述する方法としてのLITERACYが、重要だということです。


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