資本主義社会の次のカタチを実装するため

テクノロジーと地方の関係を探る

ポスト資本主義社会とは、どのような世界なのでしょうか。林 篤志氏は日本の“地方”に新たな可能性を見いだし、資本主義の次の社会を模索しています。地方とテクノロジーから実際に何が生まれているのかうかがいました。

林 篤志

林 篤志
ATSUSHI HAYASHI

エンジニアを経て独立。2011年、高知県土佐山にて「土佐山アカデミー」を共同創業。2016年、ポスト資本主義社会を具現化するための社会OS「Next Commons Lab」プロジェクトを開始。2016年、日本財団・特別ソーシャルイノベーターに選出。2017年、Forbes Japan ローカル・イノベーター・アワード日本の地方を変えるキーマン55人に選出。

—まず、林さんのご活動について教えてください。

林 篤志(以下、林):私は2011年から、限界集落などを含む日本の“地方”に関わってきました。仕事としてだけではなく、実際に地方に住みながら活動しています。これまで、日本社会をもっとよいかたちに変えられるのでは、と期待を寄せながら活動する一方で、何があっても結局は変わらないのでは、という手応えのなさも感じていました。そこで、変えられないのなら、新しく作ればいいと思い始め、実際に新しい社会のかたちを実装するのにふさわしい現場として、地方を選び活動しています。私の活動は、よく地方創生や地方活性化という文脈で説明されますが、それは第一の目的ではありません。2016年以降は、「ポスト資本主義社会の具現化」を掲げたNext Commons Labを立ち上げ、現在は、長野県の御代田で暮らしながら、資本主義の次のかたちについて、試行錯誤を続けています(写真1)。

[写真1]みよたの広場

[写真1] インタビューは、御代田町の「みよたの広場」で行った。誰でも利用できる開かれた空間は、林氏らによって旧役場跡地につくられたもの。放課後の子どもたちが集まる、サードプレイスとしての役割を果たしている。
https://hiroba.miyotano.com/

—地方を拠点としたきっかけは何だったのですか?

林:社会人の初めの2年間は、サラリーマンとして働いていました。環境的には恵まれていたのですが、家と会社の往復、会社然とした文化の中で、それだけの人間関係ではないサードプレイス的なものを作れないか、と考えるようになりました。そんな思いの中、会社を退職し、「学ぶ・教える」という人間の根源的な欲求に応える、廃校を使ったコミュニティスクールを立ち上げました。これを1年半くらいやっていたのですが、2011年に東日本大震災が起きて、それが大きな転機となったのです。

ほとんどの社会活動が止まり、パソコンの画面で震災の様子を見るしかなくて。「こうしていても何も変わらない」と感じました。自分も社会も、何かを根本的に変えないといけないと思い、震災が起きた3月の末には渋谷のアパートを引き払い、縁があった高知県の山あいの土佐山地域(旧土佐山村)に移住することにしたんです。

土佐山地域は人口1000人ほどの集落で、そこで地域を丸ごと学校にする「土佐山アカデミー」というプロジェクトを始めました(図2)。山奥なので、地元の人々が、ある意味自然の中に生きることを体現しており、そこに固有の技術と文化がありました。そういったものを次世代につなぐ場が作れないかと考えたんです。3カ月のカリキュラムを用意し、地元の人たちが先生となり、参加者は実際に居住し、サステナビリティの学習や地域資源を使ったスモールビジネスの立ち上げなど、実践しながら学べる学校となりました。今では各所で見かけるスタイルですが、その走りだったと思います。

[図2]土佐山アカデ
ミー

[図2] 林氏が高知の土佐山地域で始めたプロジェクト「土佐山アカデミー」は、地域の自然や文化、人を資源としてワークショップや研修を行う学びの場となっている。
https://tosayamaacademy.org/

—地方の過疎集落というと、排他的で、新しい試みはなかなか理解されないというイメージがあります。

林:そこは運命的な出会いだったと思います。旧土佐山村は、自由民権運動発祥の地と呼ばれ、明治時代の「夜学会」から脈々と社会教育が根付いている場所だったんです。土佐山アカデミーの話をしたときも「ああ、社学一体の現代版ね」と、すごく理解が早く、スムーズに実現しました。さまざまな条件が重なり、手応えもあったし、実際に社会が変わってきた実感もありました。人口規模が小さかったので、自分たち数人で取り組んだ小さなプロジェクトであっても、インパクトが可視化されやすい面があったと思います。しかし一方で、震災後も、世の中や社会という根本的な構造は何も変わらない、という思いも強く残りました。

—満足のいく変化がなかったということでしょうか?

林:メタファーとして言えば、古民家のリノベーションをしているような感覚です。古民家をリノベーションするとき、天井を抜いて壁に漆喰を塗り、床を張り替えると、見違えるような居心地のいい空間が生まれるのですが、結局は、柱の位置を変えることはできません。この場合、柱というのは、制度とかインフラ、法律、政治など、そういった社会の枠組みすべてを指しています。見た目は変化しても、骨格は変わらない。そのようなジレンマを感じるようになりました。土佐山では2年半ほどプロジェクトを続け、次のメンバーに引き継ぎ、東京に戻りました。プライベートでは2015年に結婚をして、岩手県遠野市に移住しました。

先ほどのジレンマについて考え続けた結果、そのような柱は、政治家になったとしても、なかなか変えられるものではなく、だったら、新しく作ることに自分たちの限られたエネルギーやリソース、熱量を注ぎ込みたいと考えました。ブロックチェーンなどの新しいテクノロジーが登場し、さらに、地方を取り巻く社会の雰囲気や自分たちの経験知がたまってきたタイミングで、Next Commons Lab(NCL)を立ち上げました。そこで掲げたのが、新しい社会システムをめざした「ポスト資本主義社会の具現化」というわけです。

—林さんが関わった新潟県長岡市の山古志地域での「Nishikigoi NFT」のプロジェクトが話題になりました。

林:Nishikigoi NFTは、山古志地域の電子住民票を兼ねていて、購入者は山古志のデジタル村民になることができます。デジタル村民はDiscordというオンライン・コミュニティチャットを介して、地域のさまざまなプロジェクトに参画できるという特典があります(図3)。

日本の地方、特に限界集落と呼ばれているところのほとんどは、以前よりも状況が厳しくなっています。特に山古志地域は、新潟県中越地震の被害によって全村避難を経験しています。2200人いた村民は800人を切り、物理的にも相当厳しい状況です。外に向けて究極的に開いていかないと維持できない。その究極的に開く手段として、ブロックチェーンがはまったということだと思います。もちろん、住民にとっては取捨選択が必要になりました。

[図3]Nishikigoi NFT

[図3] Nishikigoi NFTは、山古志のシンボルとも言えるニシキゴイをモチーフとしたデジタルアートを販売するプロジェクト。販売益をベースに、山古志地域を活性化するためのアイデアや事業プランの予算を確保し、課題解決や地域作りを進める。購入者はデジタル村民として、チャットなどを介してプロジェクトに参画できる。
https://nishikigoi.on.fleek.co/

—取捨選択とは具体的にどういうことですか?

林:例えば、実際に私が関わった例だと、ある集落に家長の男性しか参加できない祭りがあったのですが、若者はどんどん外に出ていってしまっていました。そこでは、ルールを守り続けるか、祭りを残すのか天秤にかけることになります。その地域は祭りを残すことを選びました。当時、移住者で若い女性がいたのですが、興味があれば若い女性にも技術を教えて参加できるようにして、文化の継承を選んだわけです。山古志も何を残して、何を変えるかということを議論しなければなりませんでした。山古志の件の相談を受けて、NFTを使ってデジタル住民票を発行し、外の人を受け入れましょうと提案するときは理解してもらえるか不安でしたが、地域のキーパーソンに当たる人たちは、「面白いからやろう」と言ってくれたんです。

—山古志の人々はなぜ受け入れようと考えたのでしょうか?

林:そこは震災を経験した過去の文脈の影響も大きいかもしれません。東北もそうでしたが、従来は閉鎖的だった地域も含めて、誰からでも手を借りないと生きられない状況になりました。全村避難を経験した山古志村にも、そういうところがあったと思います。実際に、地域のことを地域の人間だけでやるのは無理だよね、という意識が芽生えていると感じます。理解できない技術に対して最初は「NFT? 何ですかそれは?」となるはずだし、購入者が「私は山古志デジタル村民です」と勝手に名乗り始めるという話ですから、警戒するのが普通ですよね。しかし彼らは、外の人を受け入れて、「山古志」という名前を残すことを選んだのです。実際に住民ではない人たちが、「山古志」という名前を自由に使い始めています。山古志という名前、無形の資産がコモンズ化(共有化)されつつあるのではないかと思います。

—実際に始まって、住民に葛藤はなかったのでしょうか?

林:山古志という無形資産がコモンズ化されてデジタル上で流通し、それを名乗り始める人が増えた結果、実際に暗号資産ベースでお金が集まり始めました。そして、集まったお金を山古志のプロジェクトに使うわけですが、その際、住民だけでなくデジタル村民にも振り分けられます。山古志の人たちが、本名もわからないデジタル村民に、100万という単位の予算を振り分けるのですから、当然ながら葛藤はあるはずです。でも、それを乗り越えて活動をしています。顔も見たことがない、声も聞いたことがない、どこに住んでいるかも分からない人とチャットでコミュニケーションして、お金のやり取りをしています。これは見方を変えると、とてもインクルーシブな場だとも言えます。

—参加しているデジタル村民のモチベーションは、どのようなものでしょう?

林:本来、ある土地に対する愛着というのは、縁があってその土地に赴き、地元の人々と出会い、素晴らしい風景や体験を通して生まれてくるものでした。愛着があるから継続してコミュニケーションを取り、それをデジタル技術が補完するという順番が一般的だと思います。デジタル村民の場合は順序が逆です。Nishikigoi NFTを購入した瞬間から妙な帰属意識が芽生え始めるのです。

その原因はいろいろ考えられるのですが、NFTとして開くたびにパターンが変わるジェネラティブアートを採用したり、アーティストとコラボレーションした作品であることも重要だと思います。機能だけで考えると番号だけが表記された会員証でもよかったはずなのですが、デジタルアートにはコミュニティ意識や境界の意識を変容させる力があると感じました(図4)。

今、あらゆる社会問題が、フレームワークの問題に阻まれています。例えば、地方の課題解決をその自治体というフレームワークだけで解くことが難しくなっています。今のフレームを取り払って、もう一度フレームワークを作るとか、柔軟性を担保するということが、どの問題にも共通して必要とされている感じがします。

[図4]Generative patterns NISHIKIGOI

[図4] NFTとして販売された「Generative patterns"NISHIKIGOI"」は、開くたびに色やアニメーションが変わるジェネラティブアートになっている。デジタルアーティストraf氏の作品。
https://generative-patterns-nishikigoi.on.fleek.co/

—地域通貨などではなく、実際の通貨が介在するNFTを使う理由は何でしょうか?

林:いくつかあるのですが、山古志の場合、コミュニティに対する関与の度合い、グラデーションを幅広く設定できるのが重要だと思っています。例えば、チャットに毎日書き込むかなりコミットしている人、そこまでではないけどチェックはしていて、ここぞというときの意思決定には参加する人、NFTのデジタル資産としての値上がりを期待している人など、さまざまです。コミュニティ自体が活性化し、維持されるためには、コアなファンだけでは成り立たないので、そのグラデーションの設定には、換金性、流通性が重要なんです。

これは従来の地域作りの考えにも通じるところがあります。例えば、地方に入っていくときにはよくあることなのですが、「ここに骨をうずめる気がなければやるな」みたいなことを言う人がいます。でも、そんなことわかるわけないですよね。参加者のポテンシャルが100人だったとしても、そんな覚悟があるのはそのうち1人いるかどうかといったレベルです。これが、「いろいろ関わり方があっていい。でも最終的にコミットしてくれればうれしい」というスタンスであれば、間口はグッと広がります。

—NFTに対する世間のイメージは、高額なデジタルアート作品などに集まっている印象があります。

林:メディアなどでもそのように扱われているので、仕方ないことではあるのですが、投機性に注目が集まりすぎると、本質から外れてしまいます。私は、テクノロジーによって、複雑なものをいかに複雑なまま扱えるようになるかが重要だと思っています。従来の社会システムは、カテゴライズするなど、複雑さをそぎ落として画一化し、効率を上げるという考え方でした。しかしその結果、まったくウェルビーイングではなく、心身ともに消耗してしまったわけです。だから、新しいテクノロジーはどのように扱われるべきか、もしくはどのようなテクノロジーを作り上げるべきかと考えたら、それは、複雑性を維持し続けるべきだということです。「複雑なままでいい」という世界を作るには、ブロックチェーンを軸としたテクノロジーは、その実現可能性を秘めていると思っています。


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