「 仏教×テクノロジー」から

ウェルビーイングのあり方を探る

時間を超えたブッダとの対話がもたらすもの

仏教は現代人のウェルビーイングにどのように役立てられるのでしょうか。インド、チベット、ブータンの仏教やボン教の研究を行いながら、仏教の本質である「幸せになるための教え」を伝えるためのテクノロジーと仏教の伝統知を結びつけて社会課題にアプローチする、熊谷誠慈さんに話を聞きました。

熊谷誠慈

熊谷誠慈
Seiji Kumagai

1980年広島生まれ。京都大学大学院博士課程修了、文学博士。京都大学人と社会の未来研究院准教授、上廣倫理財団寄付研究部門長。専門は仏教学(インド、チベット、ブータン)、およびボン教研究。

国民総幸福量の原点となる思想を学ぶ

—熊谷さんのご専門は仏教学とのことですが、どのような経緯で研究の道に進まれたのでしょうか?

熊谷:もともと私は広島のお寺の生まれで、父が早くに亡くなったこともあり、高校生のころから僧侶として活動していました。檀家さんからはかわいがっていただきましたが、若いことで周囲には経験が足りないと思われたり、僧侶としての知識不足にも悩み、年齢に代わるものを蓄積しようと、京都大学に進学してインド仏教を専攻しました。修士ではチベット仏教の哲学の研究、博士課程に入ってチベットの土着宗教であるボン教を研究しました。その後、助教時代の2010年に、京都大学で「ブータン友好プログラム」という交流プログラムが始まり、それを機会にブータン研究を始めました(写真1)。

しかし、それらの研究を通して分かったのは、仏教はどんなに勉強しても、自分の一生では学び尽くすことはできないものだということでした。そこから少し視点を変え、現代のテクノロジーと仏教を結びつけることで、仏教や社会の課題を解決できないかという研究につながっていきました。

[写真1] ブータンでの活動の様子

[写真1] ブータンでの活動の様子。研究を始めた2010年には、まだ国内での研究は進んでおらず、専門家もほとんどいなかった。現地でも白紙状態の研究が多く、現地に行くと、仏教に関しても新たな発見が多くあったという。

—インドだけでなく、チベットやブータンの仏教や、ボン教という宗教を研究されているのはどうしてですか?

熊谷:インドでは13世紀に仏教が滅んでしまったこともあって、サンスクリット語で書かれた仏典写本はほとんど散逸してしまい、新しい経典をこれから発見するのは難しいという事情がありました。一方で、チベットやブータンでは今もなお仏教が生活に根付いていて、古典チベット語で書かれた古文書も多数残っており、仏教の倫理や思想が社会実装されています。1970年代にブータン国王が「GNH(Gross NationalHappiness/国民総幸福量)」という政策理念を提唱し、物質的な豊かさと精神的な豊かさをバランスよく追及する指標が作られていきました。このGNHは、経済学や心理学的な側面から注目されることはあっても、その根底にある仏教思想や仏教倫理についての研究はあまりありませんでした。そこで、GNHの起源となる思想を文献やフィールドワークによって明らかにするための研究をしてきました。さらに、同じく仏教的な価値観の影響を残す日本においても、仏教哲学や仏教倫理における幸福観を社会実装につなげられる可能性があるのではないかとも考えています。

ブッダとの対話を実現するAI「ブッダボット」の開発

—テクノロジーと仏教について、現在取り組まれているプロジェクトはどのようなものでしょうか?

熊谷:10年ほど前に、京都にある天台宗の寺院の方から、停滞しつつある仏教再興のための取り組みについてのご相談をいただきました。私自身がブータンでの研究を通じて仏教の本質が「幸せになるための教え」であると感じており、日本でも何らかの形で社会実装できないかと議論を進め、アイデアを出してはボツにするといった試みを何年も続けてきました。

ある日、持ち込まれたアイデアがAI(人工知能)でした。私たちはそうしたテクノロジーについて明るくなかったので、京大発AIベンチャーである株式会社エクサウィザーズの創業メンバーで、データサイエンティストの古屋俊和さん(現:株式会社テラバース CEO)をお呼びして、AIと仏教との融合可能性について議論することになりました。古屋さん自身は、仏教についてはほとんどご存じない様子でしたが、お互いに知らない分野同士でディスカッションした結果、ブッダが話した言葉を再現するチャットボットであれば実現可能だという結論にいたりました。そのために必要なのはプログラムとデータであるということで、古屋さんがプログラムのアルゴリズムを、私がブッダの言葉をまとめたデータベースを作って組み合わせることになりました。これが、2021年に発表した「ブッダボット」開発の経緯です(図2)。

議論だけだと、それがいくら精緻でも世の中をすぐに変えることは難しいかもしれません。しかし、テクノロジーは違います。すべての人を救うことはできなくても、今現在、苦しんでいる人を救う手助けになる可能性があると考えました。

[図2] 開発中の「ブッダボット」のLINEでのやり取り

[図2] 開発中の「ブッダボット」のLINEでのやり取り。LINEアプリ上で悩みを送ると、仏典から抽出された言葉を使って返事が返ってくる。

—ブッダボットのデータはどのように集められたのですか?

熊谷:仏教の開祖である釈迦自身はテキストを残しておらず、初期の仏典は弟子たちが釈迦の説法をまとめた言行録となります。その教えは、いわゆる八万四千の法門と呼ばれるほど多くの種類があり、さらにその後、宗派ごとに発展してきた教えが無数に存在するので、すべてをデータベースとして収録するのは現実的ではありません。当初、日本の伝統13宗派の経典を収録することも考えましたが、どんな悩みに対しても「すべては空(非実体的)である」、「念仏を唱えるべし」といった形而上学的・非日常的な回答になってしまう可能性があったので、それはあきらめました。そこで、『スッタニパータ』という最古の仏典から抽出したQ&Aをリスト化し、機械学習をさせることにしました。これらの経典は「お酒はダメ」「嫉妬はダメ」といった比較的シンプルで日常的な内容が含まれているため、多くの人に受け入れやすい内容になると考えました。

—最近、対話型AIが話題になっていますが、ブッダボットの開発はスムーズにいったのでしょうか?

熊谷:いえ、当時は、現行のChatGPTのような優れた自然言語処理モデルが整っていなかったこともあり、Googleの「BERT」を応用したアルゴリズムを使ったのですが、生成する文章にまだ問題がありました。そこで、自動生成をあきらめて、経典の文章をブッダボットからの回答としてそのまま提示することにしました。それにより、文法的に正しい文章を回答として提示できるようになった一方、経典の文言をそのまま回答として提示することで、対話性が損なわれたり、質問の意図からズレた回答をすることもありました。これはデータ数を増やしていくことで回答のバリエーションも増え、ある程度のズレは解消できるのではないかと考えています。すでに『スッタニパータ』に加え『ダンマパダ』という代表的な原始仏教経典の機械学習も終え、ほかの有名な原始仏教経典の機械学習を進めており、データ量も順調に増えています。

なお、ChatGPTのような生成系AIを組み込むと、一見すると当意即妙な答えが返ってくるかもしれませんが、情報の出どころが安定せず、ブッダの言説に近い「フェイク情報」になる可能性もあります。その点、『スッタニパータ』等はブッダ自身の言葉が書かれた経典なので、ブッダ自身と対話できるという、「ありがたみ」という点でも良かったと思っています。

AIとの「対話」で心のありようはどう変わるのか

—ブッダボットに対して、ユーザーはどのような反応を示すことが多かったでしょうか?

熊谷:現在、ブッダボットは一般公開しておらず、企業向けのワークショップなどモニターを限定して検証を行っています。そのため、まだデータがたくさん集まっているわけではありませんが、いくつか興味深い反応がありました。例えば、相談者の質問に対して、ボットから、すぐにはピンとこない抽象的な回答があったとしても、利用者はそれを必ずしもネガティブに受け取っていないということです。その回答に対して、「ブッダは、なぜそのようなことを言ってくるのだろう?」と考えることを通じて、自分の中に新たな気付きを得ることがあるようなのです。悩みの種類にもよるのですが、人は外部に何かしらの「正解」を求めているのではなく、話すことを通じて自分で気が付くという目的もあるのだと思います。そういう意味で、ブッダが壁打ちの相手になってくれるという、これまでではありえない体験を得られるのです。もちろん逆に、天気や交通情報のような個別具体の質問には答えられないので、外部サービスと連携するなどの工夫が必要です。

—人間が答える場合との違いなどはありますか?

熊谷:人間同士のコミュニケーションでは、同じ相手でもタイミングや気分によって反応が変わりますし、ブッダボットが語る内容をそのまま伝えたら上から目線の指導や説教に思えてしまうでしょう。しかし、ブッダボットがアルゴリズムであることは利用者も承知していますし、「ブッダが実際に語ったとされる内容であるならば」と腹を立てずに素直に受け入れられるかもしれません。人格が存在しない点には良い面と悪い面があると思いますが、例えば、プロの心理カウンセラーにすら聞きにくい内容も相談できるといった効果はありそうです。むしろ、不完全であり、ピンとこない意外な視点が与えられることに面白みを感じていた人もいました。

—ブッダボットの今後の展開や改善点はありますか?

熊谷:ブッダボットをアップデートした取り組みとして、古屋さんと仏教とメタバース技術を融合させた仏教仮想世界「テラバース」の開発を開始しました(図3)。まずは、ARでの提供を考えています。もともとはVRで作ることも考えていましたが、メタバース空間に仮想のお寺を作ることは技術やコストの面での課題が多いことや、リアル感を追求することよりも、日常的な空間の中でブッダに出会える驚きや対話による共感が重要ではないかと考えたからです(図4)。

[図3] 仏教仮想空間「テラバース」のイメージ

[図3] 仏教仮想空間「テラバース」のイメージ。仮想空間の技術を応用することで、遠隔地からの訪問や、建築物の建設や維持に困難を抱えつつある寺社仏閣の課題にも対応する。

[図4] 「ブッダボット」のアバターを召喚し、直接対話できるプラットフォーム「テラ・プラットフォーム AR Ver1.0」

[図4] 「ブッダボット」のアバターを召喚し、直接対話できるプラットフォーム「テラ・プラットフォーム AR Ver1.0」。スマートフォンを通して現実空間にブッダボットを呼び出せる。

—お寺をメタバース化することのメリットもあるのでしょうか?

熊谷:これは日本の仏教界の問題でもあるのですが、2040年にはお寺の3割が廃寺になるのではないかと言われており、お坊さんも不足することが想定されます。そこで、ARやVRを利用した仏事や日常での仏教との触れあいが可能になれば、こうした課題に対しても新たな解決策を提示できるのではないかと考えています。

—どのような反応がありましたか?

熊谷:国内よりも海外からの関心が多いです。ブータンの国際学会でテラバースの発表をした際には、内務大臣が興味を示すなど大きな反響がありました。ブータンでは若者の仏教離れへの対策が必要だと考えられており、テクノロジーの導入にも積極的でした。日本では個人の孤独感を埋め、人とのつながりを生み出すツールとして、ブッダボットやテラバースの技術を用いて、仏教思想に触れてもらうところから始めるのもいいかもしれません。将来的にはブッダボットのアルゴリズムを基礎に、メンタルヘルスやコーチングなど人間の心理が関わる、さまざまな分野への応用を進めていきたいと考えています。


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