[特集2] 多元質感知
本年4月、「多様な質感認識の科学的解明と革新的質感技術の創出」を目指して、新学術研究領域「多元質感知」がスタートした。各々の質感研究から、それらを統合する多元質感知プロジェクトについて、領域代表を務めるコミュニケーション科学基礎研究所、西田眞也主幹研究員(上席特別研究員)に話を聞いた。

「多元質感知」とは耳慣れない言葉ですが、どのようなものでしょうか?

  これまで進めてきた「質感の情報学」(平成22年度~26年度新学術領域研究「質感脳情報学」)から、次の課題を考えたときに、質感というものが持っている複雑さ、多元的な部分を強調したいと思っていました。
  そういうバラエティに富んだものに我々は取り組んでいくぞ、ということを表現するために「多元質感知」という言葉を使いました。もちろん、今までのアプローチをやめるわけではなくて、さらにそれを拡張していくイメージです。

そもそも、質感とはなんでしょうか?

  我々が今考えている質感というのは、特に物の本性というか、物が持っている本質を汲み取る能力と考えています。だから、音の質感がいいとか、画像の質感がいいというようなこととは少し違います。例えば、光沢であったり、どれくらい表面がカサカサであるとか、それが、もともとどういう物理的な物性を持っているか……これは得も言われぬ性質なので、明確に形とか色とか言えなくて、グジャグジャっとした物の性質(笑)。この我々が読み取っている物の本性を「質感」と呼んで、それの認識について研究をしていこう、というのが我々のスタンスです。
自然な質感のあるシーン/質感を取り除いたシーン

ここ最近で、質感関連の研究や論文が増えています。その背景は?

  工学、心理学、脳科学と、様々な分野で活発になりつつありますね。そのきっかけのひとつはやはりCGの発達の影響が大きいと思います。
  実験をするにあたっては、まず刺激を作れないと実験できません。CGが一般的になり、誰でも簡単に扱えるようになってきたので、こういった研究がしやすくなったと思います。
  Siggraph(世界最大規模のコンピュータグラフィックスおよびインタラクティブ技術の学会)などで研究とハリウッドが一体化した、というのがあって、そのあたりでコンピュテーショナルフォトグラフィ(コンピュータの演算を前提にした光の記録・再生方法)みたいなものが一気に拡がりました。ただ、それはサイエンスではなく、あくまで“技術”だったんです。その“技術”というのは結局、物理シミュレーションを目指したものになります。
  実際、全方位の照明をコントロールして、カメラも全方位において、そこから取ったデータを使ってレンダリングする(コンピュータのプログラムを用いて映像を生成する)というような大掛かりなシステムが映画に使われるようになってます。それは結局、物理的にライトフィールドを再現するところに行き着きます。
  一方、サイエンス側の人間としては、人間の認識特性を利用すれば、複雑な物理シミュレーションを相当ショートカットできるんじゃないかと考えてきました。それは結局、物理的にライトフィールドを再現するのは正しいけれど、どうせ見るのは人間なので、そんなヘビーなことしなくていいでしょう、というのが常にあります。そういう考えに共鳴してくれる人がだんだん増えてきたのかな、と。

そもそも、こういう研究を始めたきっかけは?

  当時『タイタニック』という映画が流行していました。私は観てないんですけれども(笑)。
  『タイタニック』でいろいろとCGを駆使して映画を作って、それが“リアル”に見える。世の中で「すごいなあ」となっていました。
  そんな折、CGがなぜリアルに見えるか、というテーマのテレビ番組があったんです。そのなかで、著名な視覚科学者が、チープな画像を出してきて、その時代で流行っていた視覚科学を使って「リアルさ」を説明してたんですね。
  そのときに「それは完璧に外れているな」と思ったんですよ(笑)。それでは全く物の持っている複雑性みたいなものを説明できない。視覚科学が「なぜ物がリアルに見えるのか」を説明できないということを強く思ったので、これに取り組もう、と思ったのがきっかけです。

CGがきっかけなのですね?

  それが非常に重要なことで、「CGじゃない実際の映像が、なぜリアルに見えるのか」ということを人は不思議に思いません。それがCGになって初めて、「リアルなもの」と「リアルじゃないもの」の境界が現れます。
  ちょっとダメだとリアリティが失われて、ちょっといいとリアリティがあるのだけれど、その差を記述しろ、と言われても、我々の言葉では記述できないわけです。
  「色が違う」だとかではなく、「これって質感が違うよね?」としか言いようがない世界が多い(笑)。それを理解したいというのが出発点ですね。

今回の研究はどのようなアプローチで行うのでしょうか?

  考え方としては、物理的な正しさを、ひとつひとつのプロセスを分析的に理解する方法と、世の中の「リアルなもの」を百万個くらい集めてきて、「リアルでないもの」との区別をする方法の両方のアプローチを取ります。後者の、データを大量に使う、ということが、実はリアリティを弁別していく上でとても有効だと考えています。
  理屈がよくわからないまま話が進むことが多いので科学としてどうなんだ、という説もありますが、現在の人工知能って、ほとんどそういう原理で成り立っているんですよね。
  分析的に理解できるのか、そうでなくても、データの渦のなかで理解していくのが正しいのかというのは、サイエンスのこれからを考えていく上で、非常に重要な問題です。
  どちらに転んでもいいのですけれど、両方のアプローチがどこかでうまく融合してくれるんじゃないかなと期待してます。

今回のプロジェクトで目指すものはなんでしょうか?

  まずは物理的な側面に我々は注目して研究をしていきます。そこで出てくるのが、溫度であったり、光沢であったり、粘性であったり、ホコリとか汚れとか乾いているとか、そういう物理的に記述できるような状態、それが“物の本性”ということです。
  ただ、そのことが我々の価値……つまり(それを)食べたいとか、色々な意味を持ってくるわけですね。そこをあまり強調しないようにしています。
  アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンが、「我々が持っているのではなく、モノが持っている」……例えば「椅子は私に座ってくれと言っている」といった説明をしました。そこまでいくと、結局自分の価値を外的に投射している、ということになってしまう。
  ですから、まずはモノそのものが物理的に持っている性質で、我々が単純に理解できない複雑さを捉える。それ自体は非常に複雑なんですけれども、にも関わらず、我々はなぜか捉えることができる。それを解き明かしたいというのが今回のプロジェクトです。

今号のテーマは、触覚のなかでも「温度」を取り上げています、多元質感知のなかでの温度の役割はどのようなものでしょうか?

  まずシンプルに、材質を判断するのに、温度は非常に重要な特徴です。人間の脳がどうやって温度情報から質感を読みとっているか、ということに関してはまだ解明されていないことが多いので、それを調べていきましょう、ということを、プロジェクト内でも進めています。
  また、クロスモダリティで、感覚情報が組み合わさったときにヒトはどのように情報統合をしていくのか、そのなかのモダリティのひとつとして温度は重要な要素だと考えています。

「ぬくもり」というテーマには、どういった印象をお持ちですか?

  「温かい」ではなくて、「ぬくもり」なわけですよね。「ぬくもり」というのは、例えばヒーターの熱であっても、そこに何か人間らしさみたいなものを含んでいますよね。そこが渡邊くん(本誌編集担当)らしいところなのですけど、あえて、私はそことは違うアプローチを取りたいと思っています。冷静な部分と、ロマンティックな部分の違いといいますか(笑)。


西田 眞也
NTT コミュニケーション科学基礎研究所
主幹研究員(上席特別研究員)
Website: http://www.kecl.ntt.co.jp/people/nishida.shinya/index-j.html
学歴
1985.3 京都大学文学部哲学科(心理学専攻)卒業
1987.3 京都大学文学研究科(心理学専攻)修士課程修了
1990.3 京都大学文学研究科(心理学専攻)博士後期課程研究指導認定退学
1996.5 京都大学文学研究科より学位授与

職歴
1992.4 - 1999.1 NTT 基礎研究所 研究員
1996.4 - 1996.9 東京大学教養学部非常勤講師
1997.10 - 1998.10 ユニバーシティカレッジロンドン客員研究員
1999.1 - 現在 NTT コミュニケーション科学基礎研究所 研究員
2006.4 - 2012.3 東京工業大学大学院 総合理工学研究科物理情報システム専攻 連携教授
2008.8 - 現在 自然科学研究機構 生理学研究所 多次元共同脳科学推進センター 客員教授

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