豊かな食文化を
“一般庶民”の生活からひもとく

食文化が地域のウェルビーイングを特徴づける

食文化には地域ごとの特性があります。郷土料理といえば、その地域の歴史書などに登場するものは知られていますが、それらは一般家庭で実際に食べられていた料理や食材とは異なる可能性があります。そこで、地域の歴史的背景を踏まえつつその土地の食文化について研究している立命館大学の鎌谷かおるさんに、文献から見えてきた傾向についてお話をうかがいました。

鎌谷かおる

鎌谷かおる
Kaoru Kamatani

立命館大学食マネジメント学部准教授。専門は歴史学(日本史学)。江戸時代の琵琶湖漁業について研究を始めたことをきっかけに、江戸時代の生業や暮らしを成り立たせていた社会の枠組みについて興味を持つ。近年は、調味料・味付けの地域差の歴史的解明や、自然と人の関係を「食」の観点から見直す研究などに取り組む。

“一般庶民”の生活に着目し 日本の歴史を研究する

立命館大学食マネジメント学部准教授である鎌谷かおるさんの専門は歴史学。現在は、特に日本各地の食文化についての研究を進めています。まずはその研究内容や背景について話を聞きました。

「私のもともとの研究対象は江戸時代でした。これまで江戸時代の研究というと、社会の枠組みを分析し、その時代の特徴を明らかにするという手法が多く行われていました。しかし私は、枠組みだけでは見えてこない一般の人々の生活に興味がありました」

つまり、“世間一般”の生活者の視点から社会を見るという方法を選んだのです。そんな鎌谷さんが最初に着目したのは、漁業でした。

「江戸時代は石高制といって米で全てのことを価値付けする社会でした。そのため、農業はある程度、社会の枠組みの中に組み込まれていたといえます。しかし、漁業はもっと流動的で、自然と向き合う人々の生活が、よりリアルにわかる対象だと考えました」

言うまでもなく、食文化は人々の生活と密接に結び付いており、研究する中で、鎌谷さんが食文化に興味を持つようになったのも、必然といえるでしょう。

「食文化に関しても、“一般の人々の食文化”が知りたいという思いがありました。料理に関する歴史的な研究はすでに多く存在していますが、どうしても古い料理書の分析といった研究が多いんです。きちんと編纂された料理書に載っている食文化は、一般庶民がリアルに食べていたものとは異なる可能性があります。そこで、個人の家などに残されている古文書や献立などの分析を進めました」

とはいうものの、断片的な資料を集め分析するという作業は、かなりの労力を必要とします。しかも研究対象が日本全国となれば、その数は膨大なものになるでしょう。また、近代以降の食については、聞き取り調査をする必要もあります。そんなときに鎌谷さんが出会ったのが、食文化に関する全集でした。

抽出した単語で明らかになる各地域の食文化の特徴

食生活に関する全集から抽出した単語をデータベース化した結果、さまざまな傾向が見えてきました。

「全国的によく使われている食材があります。それは“大根”です。日本人が昔からよく食べているものですが、東北から関西まで、『よく使う食材』の1位が大根という県が多いことがわかりました(図1)。また、理由についてはまだ分析中ですが、愛知県は“油揚げ”が1位でした。さらに南、九州では“サツマイモ”が上位に入ってきます」

このようにデータベース化することで、地域ごとの食文化の違いが明らかになります。では、日本人が主食としている“米”のデータはどうなっているのでしょうか(図2)。

[図1] 登場する食材の登場回数をデータベース化

登場する食材の登場回数をデータベース化

[図1] 鎌谷さんが作成したデータベースの一部で青森県と愛知県の上位5品目。『日本の食生活全集』に登場する食材を都道府県ごとに抽出し、登場回数を一覧としてまとめた。全国的に“大根”の登場頻度が高いが、愛知県では“油揚げ”が1位で、それ以外の食材は青森県と共通したものが並んでいる。

[図2] 穀物類は種類や加工状態で分類

穀物類は種類や加工状態で分類

[図2] 主食でもある“米”や“小麦”などの穀物類は食材とは分け、“もち米”や“うるち米”、“米粉”など、種類や加工の状態ごとにまとめた。東北ではもち米の登場頻度が高いなどの特徴が現れた。


「“米”や“小麦”などの穀物類は、食材とは分けて集計しています。もちろん全国で食べられているのですが、東北は“もち米”の割合が高いといった特徴があります。“小麦粉”に関しては、うどんを作るとか、練って鍋に入れるといった料理で登場します。ちょっと変わっているのは沖縄県で、ここではサツマイモの粉(でん粉)が料理に使われていますね。食材か穀物か分類に迷うところですが、保存食のような役割もあるようです」

そして料理といえば、調味料も重要な要素です。使用される調味料に地域差は現れているのでしょうか。

「調味料にも地域による特徴があります(図3、4)。東北は塩を使うことが多いです。ただその中で、福島で多いのは“味噌”なんです。そして、そこから南の地域になると“醤油”が多くなります。ちょっと特殊な例もあります。それは愛知と岐阜で登場する“たまり”ですね。たまりとは大きな分類では醤油の一種で、たまり醤油ともいいます。これらの地域の郷土料理などで使われています」

鎌谷さんは今後、食材のデータと調味料のデータを組み合わせた分析も進めていきたいとのこと。例えば、“なす”を使った料理には、どのような調味料が使われているかといった分析です。こうした分析方法で、地域ごとの豊かな食文化が、よりいっそう見えてくるといいます。

[図3] 調味料の登場回数と割合をデータベース化

調味料の登場回数と割合をデータベース化

[図3] 『日本の食生活全集』に登場する調味料を都道府県ごとにまとめたデータベースの一部で、青森県と愛知県の上位3品目。青森県では“塩・味噌・砂糖”と続くのに対して、愛知県では“たまり”が一番多い。

[図4] 登場回数1位の調味料の分布

わたしたちのウェルビーイングカード
わたしたちのウェルビーイングカード

[図4] 登場回数1位の調味料を地図上に色分けして表示すると、北海道から東北は主に“塩”だが、 関東では“醤油”といった具合に、地域ごとの違いがハッキリわかる。

データを生かし食文化の豊かさを明らかに

食文化といえば食材や調味料に目が行きがちですが、調理の技法も重要な要素です。鎌谷さんは、“焼く”とか“煮る”といった調理法に関しても『日本の食生活全集』から単語を抽出してデータベース化しています。

「大根にしてもニンジンにしても、全国的に見ると煮ることが多いですね。これには、煮物は保存性が高いということも関係しているようです。昔は冷蔵庫がなかったので、保存性は重要だったと思われます」

ちなみに、食生活全集は聞き取り調査による情報で構成されているため、調理方法が詳細には載っていない場合があります。それらを補うため、鎌谷さんは、各地に残っている自治体史などの情報も使って研究を進めているそうです。

「自治体史も調べることで、面白い情報も発見しています。たとえば砂糖があまり流通していない地域では、果物の柿を料理に使って甘みを出すという調理法がありました。そういった工夫も含めて、食文化ということですね」

このように鎌谷さんの研究では、食文化に関する興味深いデータベースが出来上がりつつあります。ではこのデータは今後、どのように生かされていくのでしょうか。

「データベースのおかげで、日本全国の食文化が横断的に把握できるようになってきました。今後より深く分析していけば、『この食材は日本人の生活にとってどんな存在なのか』といったことも明らかになってくるでしょう。さらに、例えばよく食べられている大根にしても、地域によって調理法が異なります。その差異の背景には、その地域の歴史や物語があるはずです」

大根などの食材が地域の文化を知るための、いわばメディアのような役割を果たし、それを読み解くことで、地域に根差したウェルビーイングの解析と実現にもつながっていく──そんな可能性を持った研究だといえるでしょう。

研究資料として用いられた全50巻の『日本の食生活全集』

農山漁村文化協会(農文協)が刊行する日本の食生活に関する全集。47都道府県それぞれの巻とアイヌの巻、そして素材や作り方をまとめた『日本の食事事典』2巻により構成される。

実際に昭和初期に食事を作っていた女性の方たちに話を聞いて書かれた聞き書きスタイルの書籍で、話を聞いた場所は全国300カ所、話してくれた人の数は5000人、収録料理数は5万2000点に及ぶ。貴重かつ膨大な情報が収められた、他に類を見ない全集といえるだろう。

なお、都道府県をさらに地域ごとに分けるという構成になっている。例えば水辺の地域の食生活、あるいは山間部の食生活といった分類で、地域ごとの豊かな食文化が、細かく把握できるようになっている。

>『日本の食生活全集』

『日本の食生活全集』。都道府県ごとに1冊ずつの巻という全集。多くの人が関わっており、執筆者は民俗学者の場合もあれば地元の学校の先生という場合もある。農文協(1993) URL:https://www.ruralnet.or.jp/zensyu/syoku/


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