ヘルスケア・データの共有とウェルビーイング

社会的合意と個人データ利活用のあり方を探る

COVID-19のパンデミックでは、PHR(Personal Health Record・個人の健康に関わるデータ)の利活用についてさまざまな議論がなされました。健康はすべての人にとって重要なものであり、同時に公益に資するものであるようにも考えられます。では、そのデータの利活用においては、どのように考えれば、個人そして社会のウェルビーイングの実現につながるでしょうか。ヘルスケア・データの利活用とその社会的合意について、慶應義塾大学特任准教授の藤田卓仙氏に聞きました。

藤田卓仙

藤田卓仙
Takanori Fujita

慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室特任准教授。世界経済フォーラム第四次産業革命日本センタープロジェクト長。2006年東京大学医学部卒業、2011年東京大学大学院法学政治学研究科修了。専門は医事法、医療政策、特に医療AIやオンライン診療も含む、医療情報の取り扱いに関する法制度や倫理。

パンデミックとデータ共有を巡る潮流

—藤田さんの来歴について教えてください。

藤田:東京大学医学部の出身で医師免許も持っているのですが、2008年からは東京大学のロースクールに通い始め、その後、名古屋大学経済学研究科でヘルスケアの研究に携わり、現在は慶應義塾大学医学部で宮田裕章教授と一緒に研究をしています。専門はヘルスケア・データの利活用や医療情報に関する法律や政策ですが、医療と法律の両方を研究している人は珍しいこともあり、いくつかの団体の医療情報アドバイザーや倫理審査委員会の委員としても活動しています。先日(編注:2022年9月)機能停止のお知らせがありましたが、新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」の有識者検討会議のメンバーでもありました。また、世界経済フォーラム第四次産業革命日本センターでは、ヘルスケア・データ政策のプロジェクト長という立場でもあります。

—医療と法律の接点の具体例として、ヘルスケア・データの利活用がありますが、その取り扱いの基本となる考え方はどのようなものでしょうか?

藤田:ヘルスケア・データの扱いについては、特にCOVID-19のパンデミックで注目を浴びましたが、それ以前から3つの要素のバランスをいかに取るべきか模索されてきました。3つの要素というのは、「個人の人権」「データホルダーにとっての合理性」「公共の利益」です(図1)。例えば、個人のプライバシーを人権として重要視したGDPR(EU一般データ保護規則)のような取り組みもありますし、データホルダーであるGAFAなどの巨大IT企業の合理性や経済性の観点から見るとデータをどう利活用するかが重要です。一方で、感染症や医療という面から見ると、公共のためにデータを共有すべきだという議論もあります。国や地域によってこれらのバランスの取り方は違っていて、従来のデータ共有モデルでは3つの要素のどこかに偏りがちでした。日本では、個人も企業も国もプラスになる「三方よし」な関係を理想にした方向で議論が進んでいます。

[図1] ヘルスケア・データの扱いに関する3つの要素のバランス

[図1]パーソナルデータダッシュボード

[図1] ヘルスケア・データは「個人の人権」と、企業など「データホルダーにとっての合理性」、そして国や自治体の「公共の利益」のバランスが取れていることが望ましい。

—「三方よし」を実現するための取り組みとはどのようなものでしょうか?

藤田:特に重要だと考えているのが「APPA(Authorized Public Purpose Access)」という仕組みで、2019年頃から議論を進めてきました。これは、社会的に合意された公益目的であれば、本人の同意なしでも個人情報データを利用できるという枠組みです。もともと日本の法律では、自然災害時などの緊急かつ大量の被災者の治療では、本人の許可なく本人の医療データにアクセスできますし、まれなタイプのがん治療の研究開発のためには個人データへのアクセスが許可されています(図2)。この枠組みを一般化して、ある集団において、誰もが集団の利益として「その目的に使うならいいよね」というものについては同意なしでも使えるようにしようというのがAPPAです。そのような枠組みであれば、がん治療だけでなく、糖尿病などの慢性疾患や薬の副作用についてのデータ収集でも役立ちますし、児童や高齢者に対する虐待が疑われるような場合、医師や教師が行政や専門機関と情報共有する際に用いることも考えられます。この場合、本人の代理人である保護者などの同意を取ることがかえって状況を悪化させる可能性があるからです。

[図2] APPA(社会的合意に基づく公益目的のデータアクセス)の例

[図2]APPA(社会的合意に基づく公益目的のデータアクセス)の例
[図2]APPA(社会的合意に基づく公益目的のデータアクセス)の例

[図2] 日本の既存の法律では、自然災害やパンデミック、希少ながん治療の場合などでは、個人の医療データへのアクセスが許可されている。 この枠組みを一般化したAPPA により、児童虐待防止など新たな価値を提供できる可能性がある。

—すべての場合でデータ利用の同意を取ることが、必ずしもユーザーのためになるわけではないのですね。

藤田:「適切な同意」があるかどうかは大きな問題になりますし、同意したからといって、データがどのように使われているのか分からない、どういうメリットがあるのか分からない、では困ります。一方で、細かなところまで真面目に同意を求めていると、「同意疲れ」などの問題も生じます。本人の意思に反しないデータの使われ方、積極的に使ってほしいという本人の気持ちに沿ったデータ利用を促進する仕組み、AIの使用も視野に入れた仕組みが必要です(図3)。

[図3] ヘルスケア・データガバナンスの全体像とAPPAの運用

[図3] ヘルスケア領域におけるデータ・ガバナンスの全体像

[図3] ヘルスケア領域におけるデータ・ガバナンスの全体像。その中でAPPA は、本人の意思確認とは別に同意なしでデータ活用し得る枠組みとして考えられている。

—パンデミック以降はデータ利用について、世界の潮流の変化、日本での変化はあるのでしょうか?

藤田:GDPRに代表されるように、ヨーロッパは第三者が個人データにアクセスしにくい傾向がありましたが、パンデミック以降で流れが変わってきたように感じます。フィンランドのように、創薬目的であれば匿名化された医療情報を同意なしで利用しても構わないといったケースも以前からありましたが、EU全体でヘルスケア・データの利用を進める動きがあります 。日本は、ドイツのように法律をどんどん改訂してデータ利用していくのでもなく、いくつかの国がそうであるように強い立場から国がデータを管理するわけでもありません。捉えどころのない個人情報に関するプレッシャーに対する忖度から、結果として法律が規定する以上にプライバシーを過剰に保護する方向に傾いてしまっているようにも感じます。

データ利用の社会的合意とウェルビーイング

—社会的合意形成には市民側のリテラシーや教育が深く関わってきそうですね。

藤田:その点は難しい問題です。果たして公益性を客観的に多くの人が納得できる形で規定できるのか、その前提となる適切な教育はあり得るのかなど、議論すべき多くの課題があります。また、ヘルスケアの分野においてさえ、合理的ではない話に飛びついてしまうポピュリズムにどう向き合うかという問題があることが、パンデミックによって浮き彫りになりました。例えば、「コロナは風邪」や「ワクチンは危険」といった言説がありますが、これは単純な科学知識やリテラシーの問題ではなく、健康のあり方もその伝え方やさまざまな価値観との関わりの中で存在していることを社会に突きつけました。

—健康に関するデータ共有であっても認識はバラバラという状況を鑑みると、例えば、さらに多様性ある個々人のウェルビーイング・レコードのようなものを共有するとなると、さらに難しそうですね。

藤田:1つは、データの共有範囲の細かい設定や不必要な情報が流通しない堅牢なシステムを作り、ユーザーに安心してもらってデータを共有するやり方があります。もう1つは、目的や価値観を共有できるコミュニティ内でのみデータ流通させるということが考えられます。同じ趣味の人や同じ病気の人が集まったコミュニティはその1つかもしれません。食が好きな人の間で食事のデータを共有するのは、そこまで抵抗はないですよね。結局、ウェルビーイングという意味では、「お酒や煙草」と「健康」であったり、「孤立孤独」と「行動の自由」であったり、コミュニティごとに何を社会的な善とするのか、バランスや多様性を考えるのがとても重要になります。例えば、愚行の権利というか、「このコミュニティは、この行為を許容しています」ということが明示されていれば、それを理由に人は集まってきます。もちろん、多様性を重んじてコミュニティが乱立する状況はかえって社会の分断を進めてしまう恐れもあり、難しい問題ですね。近年、DAO(Decentralized Autonomous Organization:分散型自律組織)という組織のあり方が注目を浴びており、個人の価値観や嗜好が共有された中でデータ共有のポリシーを設定していくということも考えられますが、これからの課題だと思います。

—自分のため、目の前の人のため、社会のためと、価値観が多様になっている中で、データ共有に対するインセンティブをどのように提供できるのでしょうか?

藤田:そもそも、どういうデータを誰と共有するのか、それによって誰に何のメリットがあるのか、それを分かりやすく客観的に示すことが重要です。例えば、金銭や商品券でいくらもらえるというように、目に見えるベネフィットを提示すればデータを提供しても構わないという人もいます。また、日本人の民族性かもしれませんが、みんなが使っているから、または誰か信頼できる人が推薦しているから自分も使うということもあります。一方で、金銭的なインセンティブや周囲の人との関係性ではなく、「誰かの役に立つのならデータを提供しても構わない」と、社会や公益に資するのであれば積極的に提供するという人が多いのも事実です。このような多様な価値観の中でも社会的合意に基づくデータ共有によって、個人だけでなく公共のウェルビーイングが実現されていけばと思います。


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