循環・再生とウェルビーイングを考えるキーワード
今号では、「循環・再生とウェルビーイング」をテーマとし、東京大学の黒木さんにインタビューを行いました。インタビューの中で、ウナギの生態や保全について考えていくことが、ひいては地球視点からのウェルビーイングについて考えるきっかけとなるというお話をいただきました。ここでは、「循環・再生」とウェルビーイングがどのように接続されるのか、いくつかのキーワードから考えてみたいと思います。
“わたしたち” のウェルビーイング
本誌においてウェルビーイングは、“わたし”ではなく、“わたしたち”という視点から扱われています。それは、日常生活において、自分だけのことを考えていればよいという状況はほとんどなく、むしろ、周囲の人々と対話し、お互いに影響を与え合いながら物事は進んでいくということによります。
では、そのような状況において、どのようにウェルビーイングは実現されるのでしょうか。そのひとつとして、全体を把握する人やシステムを用意し、グループ全体がうまくいくように最適化してサービスを提供するという考え方があります。これは一見問題がないように思えますが、サービス提供側があらゆる人の情報を把握する必要があるため、大変なリソースが必要になり、突き詰めると、グループを「サービスの送り手と受け手」、さらには「制御する側と制御される側」に分けて考えることにもつながります。このような考え方は、効率的にグループを運営する上では重要ですが、それだけでは多様な個人の充足や自律性を担保することができなくなってしまいます。
一方で、それぞれの人が気の向くまま自身の充足だけを求めて振る舞うのでは、全体としてうまくいく可能性は高くないでしょう。うまくいかないだけでなく、グループ内で格差が大きくなってしまうことも考えられます。つまり、全体からすべてを制御しようとしたり、それぞれの人が自身の満足のみに基づいて行動するだけ以外の考え方が必要になり、各人の充足とチーム全体の両方を尊重し相互作用し合う中で、自分より少しだけ大きな視点から考える“わたしたち” のウェルビーイングが重要になってきているのです。
マルチステークホルダー
そして、この“わたしたち”のウェルビーイングを実現するに当たり、その関係者は、目の前に居る人々だけでなく、同じ地域に住む人々、生活で利用しているモノの製作や流通に関わる人々、さらには人以外の自然や生命まで広げて考える必要があるのではないかというのが、本特集のメッセージです。
例えば、ビジネスの分野では「ステークホルダー資本主義(Stakeholder Capitalism)」という考え方があります。これは、従業員や取引先、地域社会、地球環境まで含めた、あらゆるステークホルダーのよいあり方に配慮してビジネスを考えていこうというもので、2019年にアメリカの大手企業で構成される非営利団体「ビジネス・ラウンドテーブル」が、あらゆるステークホルダーにコミットする旨の声明を企業トップ181人の署名入りで発表したことが始まりでした。つまり、ステークホルダー資本主義の考え方は、ビジネスにおける“わたしたち”のウェルビーイングの関係者の範囲を、株主だけでなく、従業員や取引先、地域社会、地球環境まで広げようとする試みだと言えます。
また、“わたしたち”の広がりを考えるときのフレームワークとしては、今号で紹介する「わたしたちのウェルビーイングカード」のカテゴリーが有効かもしれません(図)。カードに書かれたウェルビーイングの要因は、その領域が“I”“WE” “SOCIETY” “UNIVERSE”の4つのカテゴリーに分類されています。“I”は自分の気持ちや行動に関する要因です。“WE”は特定の人との関わりの要因であり、その人と対話し、直接的に身体感覚や気持ちをやり取りするということに重きが置かれます。“SOCIETY”は、不特定多数の他者を含む社会との関わりの要因で、何かを流通させたり、コミュニティとつながっているという感覚が生まれることが重要であると考えられます。
これまで本誌「ふるえ」では、“WE”を醸成するテクノロジーとして、触覚情報を送り合うことで相手との心理的距離が近づいたり、新しいコミュニケーションの形が生まれることについて触れてきました(ふるえVol.47)。また、“SOCIETY”とテクノロジーという意味では、ブロックチェーンを使ったWeb3型コミュニティの可能性についても言及してきました(ふるえVol.45)。
一方で、自然や世界など、より大きな存在とのつながりの要因である“UNIVERSE”については、これまであまり取り上げる機会がありませんでしたが、本号の黒木さんのインタビューは、生態系の視点、地球の資源の視点と、“UNIVERSE”の要因まで含めてウェルビーイングを捉えようとするものです。そして、“UNIVERSE”について考えるときに重要なのは、環境に対して想像力を持つことです。例えば、海や川はつながっていて、その長い距離をウナギは移動してくる。また、食の素材の価格が上がったときに、なぜ価格が上がったのか、その元となる環境の問題や乱獲の問題にまで思いを馳せることができるかということです。
[図] 「わたしたちのウェルビーイングカード」の要因を分類する4つのカテゴリー
再生成(リ・ジェネレーション)
“I” “WE” “SOCIETY” “UNIVERSE”のカテゴリーに共通する何らかの原理、言い換えるならば、人間のウェルビーイングと環境の持続を結びつける考え方があるとしたらどのようなものでしょうか。ウェルビーイングは、人それぞれが快も不快も含めて、人生のよく生きるあり方が実現されていることです。これは、その人の人生を波として考えたときに、瞬間的に上がったり下がったりしたとしても、一定の時間幅の波として捉えたときには、それを包括的によい時間であったと感じられるかということになります。
また、一方で、環境の分野ではSDGsのように「サステナビリティ(Sustainability)」、つまり、環境資源を持続させることが重要視されています。そして、近年ではそれだけではなく、環境を再生させる「リジェネラティブ(Regenerative)」という考え方が提唱されています。単に現状を保全するだけではなく、新しい価値を生み出すような環境を再生していく取り組みが重要視されているのです。
例えば、リジェネラティブな農業は、土壌を再生する技術を使って土壌を修復し、改善しながら農作物を作っていきます。農業廃棄物を、土壌のための肥料や殺虫剤として利用し、別の価値を生み出すこともリジェネラティブと言えるでしょう。また、企業もこのようなリジェネラティブ農業を行う農家を支援したり、認証プログラムを開始しています。
つまり、限られた資源に対して、今の状態を保全するだけでなく、よりよくしたり、さらには別の価値として再生させるということがリジェネラティブの本質であると言えるでしょう。特に、後者の価値の変換に関するリジェネラティブという考え方は、カテゴリーを超えた“わたしたち”のウェルビーイングと深い関係があると考えられます。
振り返ってみると、現在の日本は、さまざまな環境資源が限られており、それだけではなく、人口減少により人的資源も限られた状況です。そんなときにはどうやって新しい価値を見いだすのか、どうやって生活環境や自他の心身を再生成させるのかというリジェネラティブという視点が必要になると考えられます。
前述のカテゴリーにおいて、“I”では心身の状態、“WE”や“SOCIETY”では人と人の関係性、“UNIVERSE”では自然環境と、別の対象を扱っているように見えるかもしれませんが、人々の心身、コミュニケーション・コミュニティ、自然環境や地球まで含めて考えること、状況が悪くなったとしても、それを次の状況のリソースと捉え、新たな価値を生み出すリジェネラティブな社会を実現していくことが重要になるでしょう。
(文責:渡邊淳司)