[特集1] 人には聞けない言葉/運動の記憶のヒミツ

Q. 言葉の記憶について教えてください。

A. 言葉は、世界を構築したり、世界に境界線を引いてカテゴリー化する上で、一番の要になっているもので、言語に関連する脳部位が損傷すると、単語が出てこないとか、文章の理解ができなくなりますが、きちっとした概念を積み上げていくこともできなくなります。ただ、日常の行動とか動作っていうのはあまり変わらないという特徴もあります。言葉は、子どもの頃から母語として習得するものなので、たとえば、単語を知っているということ自体、その単語の情報が記憶されているということになります。ただ、記憶と言っても、色々な種類があって、その中で言葉の記憶というのは、「その単語は知っている」というような知識としての記憶という側面と、文法のように、ほとんど無意識に使用できているというような側面もあり、色々な記憶が複合して、言語を支えているのだと考えられます。

Q. 残りやすい記憶と残りにくい記憶はありますか?

A. 言葉に障害が生じる場合、抽象的な概念や普遍的な概念から壊れていくのかなという印象があります。逆に、名前とか固有名詞はその単語と対象のつながりが一対一なので、残りやすいです。これは、脳のどこが損傷されたかにもよるのですが、たとえば、ある患者さんに、歯ブラシを見せて「これは何ですか?」って聞くと、「ええと、何だろう…」って言って歯ブラシと言えないのですが、自身の歯ブラシを見せると、「これ、私の歯ブラシです!」と言えることがあります。でも、他の人の歯ブラシは「うーん、なんだろうこれは、歯ブラシとちょっと違う気がする」とか言うんです。どこが違うんですかと聞いても、うまく説明できないのです。このような場合には、一対一の対応的なものとしてしか言葉を使えなくなってるということかもしれません。

相槌のリズム、文の構造、動詞の活用、決まり文句とかは、普通の単語とかが言えなくなっても残りやすいです。また、特殊な変性疾患で、単語だけどんどんわからなくなってゆくということがあるのですが、そういう場合、ある時期、名詞はわりと出にくいんですけど、副詞とか形容詞的なものとかいうのは残るということがあります。ある患者さんは、「たっぷり」と「ちょっぴり」っていう言葉が残っていて、その2つをご自分なりに使い分けていました。「たっぷり」は、文字通り“多い”という意味でも使いますが、その他、何かすごくいい意味でも使うのです。たとえば、娘さんが遊びにきて嬉しかったというような場合に、「たっぷりね」と使うんです。「ちょっぴり」は、すごい寂しいとか、不満とか、そういう場合に使うんです。こういう例をみると、言葉は、感情的な状態と非常に密接に関わっていて、そこが残りやすいのかなとも思います。

Q. 思い出しやすい記憶はありますか?

A. 思い出しやすい記憶というか、同じ単語を思い出すのでも、違った入り口から単語を取り出そうとすると、思い出せるということがあります。失語症の患者さんの目の前にいる娘さんを指して「こちらの方はどなたですか?」と質問すると、「娘」という単語がでなくて、答えられないのですが、その娘さんに話しかけるときには、「いや?娘って言葉が私出なくなっちゃったわ」ってポロッと言えたりするんですよね。入り口を変えるというか、ある一定の条件が揃うと思い出せるということがあるんだろうなっていうのをすごく感じますね。

記憶は、それ自体だけであるのではなくて、その状況とか文脈といったエピソードと切り離すことができない情報です。なんとなく、記憶って脳のどこかの細胞に貯蔵されて入っているようなイメージがあるかもしれませんが、本当はそこまで固定したものではなくて、そのエピソードが起きたときの脳細胞の活動のパターンというか、そのパターン自体が記憶だと思うので、視覚や聴覚からそのパターンに近い脳細胞の活動が起きたときに、ポロッとその記憶を思い出しやすいというか、多分そういう構造になっているんだろうなというイメージはありますね。記憶が脳細胞の発火パターンだということは、最近、動物実験などで色々なところで証明されていますね。

Q. 運動はどのように記憶されるのでしょうか?

A. 「失行」という現象があります。これは定義がややこしいんですが、麻痺とかがない、運動能力的には何も悪くないんだけれども、何かの動作をできなくなるという状態です。たとえば、「おいでおいで」とか、「さよなら」とか言語の代わりみたいな動作ができなくなるタイプの「失行」があるんですけど、それが何故か左半球(言語機能をつかさどる半球)の脳損傷ででてくるのです。そのような運動は、言語と同じように記号を表すものだからだと言われています。

あと、道具を使う動作、たとえば、バットを振る動作を真似してくださいとか、そういう動作をこっちがやって見せてもできない症状が、やっぱり左半球の損傷で出てくるんですね。でも、そういう方に手に実際にバットを持っていただくと、すんなり使えるんです。でも、また、バットを手から外した途端、今やっていた動作もう一回してくださいって言っても、全然できなくなる。バットを持ったときだけできるようになるんで、触覚情報が入ることで、ピッとスイッチが入ったようにその使い方がわかる感じです。

もし、プロ野球の選手でも、そういう「失行」になると、バットだけでなく、ボール投げる真似をしてくださいって言われても、できないと思います。だけど、たぶんグラウンドに立ったら、あっさりとできるんだろうなっていう…。このようなことから、動作の方法とか手順というのは、何らかの方法で記憶されているのでしょうが、何かを持って行うような動作の場合には、持つ・触るという情報がスイッチオンのきっかけになるような構造をしていることが推測されます。意識して言葉で記憶していることと、身体が記憶して反応するというのは、全然別なんだろうなっていうのはありますね。…ですので、言葉では取り出せないものも、きっかけとして触覚や身体感覚をうまく与えてやると、身体的な記憶は蘇ってくるのでしょうね。

Copyright © NTT