人には聞けない手とテクスチャのヒミツ
私たちの手は、テクスチャのわずかな違いを感じとることができます。その背後には、どんな手の構造、メカニズムがあるのでしょうか。触覚の感覚情報処理について研究している黒木忍さんにお聞きしました。
黒木 忍

答えてくれる人
黒木 忍 研究員
コミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部
専門:人間の触覚系の心理物理学的研究

Q.人間のテクスチャ知覚がどのように生じるのか教えてください。

A. 皮膚の中にはさまざまなセンサーがありますが、私の研究は、テクスチャ知覚と関連の深い、指の振動や皮膚変形に関するセンサー、およびその脳内処理についてです。現在のところ、人間の皮膚には振動や皮膚変形のセンサーが4種類あると言われています。浅いところに小さいものが2種類、深いところに大きなものが2種類あり、それぞれ形が異なるので、どのような入力刺激に応答するかという機能も異なります(図)。浅いところにあるものは、圧力やゆっくりした振動に強く反応し、深いところにあるものは、高い周波数の振動や引っ張り力に強く反応します。皮膚の変形に対して、それぞれのセンサーがちょっとずつ異なる応答をして、そのチームワークで物体の凹凸や粗さ、摩擦といったテクスチャの感覚を作っているのです。

図 表面付近、指紋のふちの周りには「メルケル細胞」や「マイスナー小体」、深部には「パチニ小体」や「ルフィニ終末」と呼ばれるセンサーがある。


  触覚のテクスチャは、布や皮、金属などの素材で分類できるほか、触れたときに生じる、粗い、硬い、温かい、ザラザラする、フカフカするといった感覚から分類することもできます(第7号『はぷてぃっく』参照)。実は触感は、モノ作りの現場では昔から細かく研究されていて、例えば布地屋さんは、布を「風合い」という言葉を使い、シャリ感やハリ感、ヌメリとか、業界独自の評価軸を作って丁寧に調べていました。
  素材への触れ方も重要で「何を知りたいのか」とか「どんな素材なのか」といった情報を含んでいる可能性があります。例えば、平たいサンプルが置いてあって「粗さを感じてください」と言われたら、だいたい表面をなでるような動作になりますよね。でも「それは硬いですか?」と聞かれたら押したり、「温度は?」と聞かれれば、手のひらをピタッと置いたりします。また、人工芝のサンプルを見て、グイグイ押す人はあまりいないでしょう。フカフカのタオルだったら、大きく押したりもしますね。    

Q.人間の手の特徴とは何でしょうか?

A. 私はもともと進化に興味があって、人間とはどういう生き物なのかを考えたときに、もちろん脳が大きいとか、社会的な動物とか、言葉を使うとか、特徴はいろいろありますが、「器用」ということもひとつ面白い特徴だと思っています。例えば、ネズミにも手はありますが、指1本1本をうまく使って何かできるわけではありません。一方、サルは人間にかなり近くて、手先がすごく器用ですね。顔の正面に2つの目があり、ものを立体的に見ることができるので、これもいろいろな細かい作業をする上で役立っているでしょう。そういった手の器用さみたいなものに、身体の構造やセンサーがどう関わっているのか興味があります。
  目や耳といった他の感覚器と手の大きな違いは、手は物理的に使う道具であるということです。道具は日常的に使うので壊れます。どんどん壊れていって、死んだ細胞が盛り上がって表面の角質が剥がれてと、破壊と再生のサイクルがあります。もちろんアクシデントで壊れることもありますし、加齢の影響も受けます。センサーごとに、病気になりやすさとか歳を取ったときの変化などもかなり違います。歳を取ってセンサーが変化すると、若い頃は好きだったスーツの手触りがピンと来なくなる、なんていうこともあるかもしれませんね。

Q.人間の手の役割はどのように変わっていくのでしょうか?

A. 以前、訪れた展覧会(21_21 DESIGN SIGHT、「テマヒマ展<東北の食と住>」)に、ずっとおにぎりを握っている人とか、ずっときりたんぽを作っている人とか、さまざまな職人の手の写真が壁一面に並んでいるコーナーがあって、すごく面白かったんです。きりたんぽ職人は熱いご飯をギュッと握っているからか、手がツルツルでした。では、この人は普通の触感を持っているのでしょうか。手は道具なので、過酷な環境で使うこともあります。でも、使いすぎてセンサーが死んでしまったら、いい感じにきりたんぽを作れないじゃないですか。人間はその危ういバランスを取りながら、道具と感覚器の両方として手を使っているんですね。
  時代と共に、人間の手の使い方そのものも少しずつ変化しています。昔はやはり、手は生きるための道具だったので、素早く正確に課題を行うという、操作性を高めるためのツールや情報の提示法が重宝されました。ですが最近では「いい感触」の追求というか、操作感を向上させるための研究や製品も増えています。それこそ、スマホの画面しか触らなくなると、繊細な感覚は不要になって皮膚がどんどん厚くなるとか、スマホが出すような高い周波数の振動にだけ感度が高まるとか、そんなことも起きてしまうかもしれません。これから再び、触覚の繊細さが重要視される時代になるとうれしいですね。

Q.現在、注目している触覚の研究について教えてください。

A. 皮膚のセンサーから伸びる神経は、脊髄、つまりは背骨の中の鉛筆一本くらいの本当に細いところを通って脳に情報を届けます。これまでは主にセンサーと脳が調べられてきたのですが、最近の研究で、脳に届く前の脊髄の段階でいろいろな情報処理がなされているのではないかと言われ始めました。例えば、あるセンサーに弱い入力があったとき、その周辺のセンサーからの入力を抑えるといったことが、脳の手前にある脊髄で行われている可能性があるのです。
  最後に、ひとつコメントさせてください。ここまで話してきたことを含め、先ほどの4種類のセンサーなど、教科書に書かれていることはすべて本当だと思ってしまいがちです。しかしそれは、基本的には「ある時代にそこまでは分かっていた」という事実に過ぎません。触覚の研究は、これからわかってくることも多く、教科書も大きく書き換えられていくと思います。  


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