ソーシャルメディア時代の社会と個人、そして情動
現実以外にバーチャルな空間にも社会が生まれつつある現代。社会学者の目線で見ると、こういった現象はどのようにとらえられるのでしょうか? 情動の社会学やメディア論を研究している伊藤守さんに話を聞きました。
伊藤 守

伊藤 守
早稲田大学教育・総合科学学術院教授
早稲田大学メディア・シティズンシップ研究所所長
専門:社会学、メディア研究、人文社会情報学
最近の関心は、生命体と機械が<つながる>ところに生まれる<社会>です。主な著書に『情動の権力』、『情動の社会学』など。

「情動」をキーワードに情報と社会をとらえ直す

  私の専門は社会学ですが、大学院卒業後に理系の先生方との出会いがあり、 いわゆる文系のアプローチに加え理系的な「情報」というキーワードも研究に取り入れるようになりました。情報学者の西垣通氏(現:東京経済大学教授)との出会いも大きかったですね。私は特に、主知主義的で合理的なものだけでなく、身体や情動といったものまで考えたときに、初めて社会や情報、コミュニケーションの構造が見えてくるのではと考えています。そこで、意識に上る以前の感情、すなわち「情動(affection)」※に焦点を当てて、情報を考察してみたんです。その結果をまとめたものが『情動の権力─メディアと共振する身体』(せりか書房/2013)、『情動の社会学―ポストメディア時代のミクロ知覚の探究』(青土社/2017)です。
   

※例えば、大きな音は情動を喚起し、それが何か認知されなくても逃避行動を引き起こす。情動は「〇〇は怖かった」
という経験内容の認知以前に生じる経験の強度である。



コミュニケーションの図式が変化した現代

  従来のコミュニケーションモデルは、情報の「送り手」と「受け手」、そして「メッセージ」という3つの要素から構成されていますが、そういったモデルでは、現代のコミュニケーションを表現・分析できないのではと感じています。その異和感が決定的になったのは、ソーシャルメディアの登場です。ソーシャルメディアでは、従来メディアとは状況が異なります。「リツイート」や「いいね!」など無数の情報が再生産され、循環していくわけです。従来モデルでは対応できないのは明らかです。
  そんなときに出会ったのが、19世紀後半に活躍したフランスの社会学者、ガブリエル・タルドです。受け手―送り手という通信技術によって制度化された近代のコミュニケーション論ではなく、それ以前の社会学に光を当てたらどうだろう。そのほうが、現代の状況がよく見えるのではと考えたんです。
 

タルドによる社会分析と「模倣」という概念

  19世紀と21世紀を比較するのは無謀だという意見もありますが、実は相同的な関係にあると私は考えています。19世紀のパリは人口が急増し、「群衆」という概念が登場します。また、最新のメディアである新聞が普及したのもこの時代です。大量の読者が形成され、彼らは街角で記事を話題にし、相互に伝え合い、情報が横に伝播していきました。タルドは、このように受信者がすぐに発信者になる現象を「模倣」という言葉でとらえています。「模倣」という概念は、実はリツイートなどが繰り返されるソーシャルメディアの時代に、きわめてリアリティあふれたコンセプトとして考えられるべきだと思います。
  また、模倣は身体性にも関わってきます。例えば、話を聞くときにはコンテンツだけでなく、その人の話し方やリズムによって、内容をほかの人に伝えたくなるということがあります。言い換えれば、心の中での強度が高まってそれが模倣につながるということです。模倣されるものには「情報」だけでなく、「信念」や「欲求」も含まれるとタルドも指摘しています。

SNSの差異と社会的リアリティ

  ソーシャルメディアにもいくつかありますが、学生に聞くとそれらを使い分けているようです。例えば、Facebookは名刺感覚で使われるパブリックなメディアで、LINE は仲間内で使う文脈依存性の高いプライベートなメディア。Twitterは拡散性が高いメディアで使用頻度も高いようです。「みんながリツイートしているから自分も」という状況も多く、コミュニケーションの情動性が働きやすいでしょう。情動性という視点では、こうしたソーシャルメディア上の情報は、誰かに理解されることが目的ではなく、反復や転送による循環が目的となっているのかもしれません。膨大な量の情報の循環自体が独自の社会的リアリティを構築しているともいえます。
  集合的沸騰状態もソーシャルメディア時代に特徴的な事象です。情報の循環が情動を呼び起こし、どんどんフィードバックされていきます。例えば、ワールドカップのときの人の動き。「日本が勝った」というツイートに何万人という人々が反応し、「渋谷に集合」と書くとワッと集まるような現象です。いわゆる「炎上」もそうです。炎上状態では、普段言及しないようなトピックにも関わってしまうということもあります。

情動によって動かされる個人そして社会

  情動は個人だけでなく、社会にも関わっています。むしろ、情動的な力動のほうが社会を作り、動かしているともいえます。例えば、最近では政治的なメカニズムにも情動が関わってきていると感じます。米国のトランプ政権の誕生なども1つの例でしょう。そして、一国の大統領がTwitterで発言した内容が世界中に拡散して多くの人々の情動的反応を誘発し、さまざまな現象を起こしていることも象徴的です。
  現代はポスト・トゥルースの時代ともいわれていますが、それはある程度避けられないことだと思っています。悪意により虚偽の情報を流すこともあるでしょうが、不確かだけど役に立ちそうだから流すというように、善意によって虚偽の情報が拡散される場合もあります。このように、さまざまな情報が束となって向かってくると、われわれは情動を喚起するより強い言葉に反応せざるをえない。だから、自分で決定しているつもりでも、実は社会に決定されているということも多々あります。そこをどう乗り越えていくのか。これから社会学が考えるべき問題のひとつです。
  こういう話をすると、非常に大きな課題のように思われがちですが、実はわれわれが日常的にメディアとどう接するかを考えることもひとつの糸口です。特にスマートフォンは実際に触れて操作する触覚的メディアです。指でスクロールしながら文字を読む行為は、指で読む行為とでも表現したくなります。触覚的であり身体性が強いメディアということは、情動的なメディアであるともいえます。そのとき、情報の循環やそこでの情動の役割を思考の補助線にすると、わかりやすくなるかもしれません。  


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