ウェルビーイングと食と触

渡邊淳司


NTTコミュニケーション科学基礎研究所 上席特別研究員/本誌編集長

今号のふるえでは、ウェルビーイング(Wellbeing)と食について取り上げます。食のウェルビーイングといえば、まず「好きなものを食べる」と考えるかもしれません。しかし、人にとって食とは、単に食べておいしいというだけではありません。ここでは、ウェルビーイングの構造と食体験の構造を比較することで、その関係性を探ってみます。

ウェルビーイングとは何か

食とウェルビーイングの関係を紐解くために、まず、ウェルビーイングそのものについて考えてみましょう。ウェルビーイングとは、心身が良好な状態であることを指す概念です。もちろん、何が良い状態かは、人によってそれぞれ異なり、具体的に「これ」と指し示すことが難しい概念だとも言えます。しかし、その概念があることで、新しい視点でものを考えたり、自分や他人のウェルビーイングを良くしようと働きかけることができます。「人権」や「景気」などと同様に、それがあることによって新しい考えや行動をもたらす、言わば見えない物差しなのです。

ウェルビーイングの要因を
食に当てはめて考える

ウェルビーイングは主に3つの領域で扱われます。[1]「医学的ウェルビーイング」:心身の機能が不全かを問う医学の領域。[2]「快楽的ウェルビーイング」:気分の良し悪しや快・不快という一時的・主観的な感情に関する領域。[3]「持続的ウェルビーイング」:心身の能力を発揮し、周囲との中で意義を感じる「いきいきとした」状態を実現する領域で、英語では「フローリシング(flourishing)=開花」とも表現されます。以前は[1]と[2]が中心でしたが、近年では、[3]のような、持続的かつ包括的に捉えようとする考え方が主流となっています。

これを食に当てはめると、[1]は何kcalといった数値で表せるエネルギーや栄養の摂取に関するウェルビーイング、[2]は「おいしい」「甘い」といった口に入れた瞬間の感覚に関するウェルビーイングだと言えます。そして、[3]は、瞬間的で物理的な体験としてだけではなく、誰が作ったのか、どんな場所で食べるのか、誰と食べるのかなど、その人にとっての意味付けや、人と人との関係性、それらの要因も含めて、食を捉えるウェルビーイングです。もちろん食体験において、栄養や感覚が良好であることが望ましいのは当然ですが、それだけではない要因、食の持続的ウェルビーイングについても、掘り下げて考えていく必要があるでしょう。

持続的ウェルビーイングの視点で
食体験を捉える

一般的に、持続的ウェルビーイングを考える際、その要因をいくつかのカテゴリーに分類することが行われています *1。その分類の一例を挙げましょう。他者との関係性の視点からカテゴリーを分けたものとして、「I」「We」「Society」「Universe」があります *2。「I」は自分個人の要因です。自分で決めて行動している自律性や一つのことに打ち込む没頭の感覚、何かを成し遂げた達成感などが含まれます。「We」は特定の他者との関係性で、「Society」はより広がった不特定多数の他者を含む関係性です。例えば、良好な人間関係、他者への思いやりや感謝、利他行動などです。「Universe」は、それらを超越した視野で、世界のあり方や平和などが要因となるものです。

これら一般的な持続的ウェルビーイングの要因を食の視点から見ていくと、どのような要因があるでしょうか。「I」は、その人が自身の意思で特定のものを食べるという嗜好であったり、自分に合った量や食材を使った料理を食べる適食などが考えられます。また、自分で調理しておいしいものができた、新しいメニューを作り上げたといった達成感も含まれるでしょう。「We」は、一緒にご飯を食べる共同食体験によって相手と親密になる、コミュニケーションが図れるといった要因が挙げられます。また、自分が作った料理を提供して喜んでもらう、心のこもったおもてなしなど、利他行動によって満足を得るという要因も入ります。「Society」では、食文化などの土地との関わりのほか、食材の生産者やお店の考え方に共感して食べるという行動や、フェアトレードといった食消費行動の動機付けなど、食に関する社会的な文脈が要因として考えられます。「Universe」は、地球レベルでの食糧問題やフードロス、環境問題への意識ということになります(図1)。

図1 食の持続的ウェルビーイングの要因 [図1] 一般的なウェルビーイングの「I」「We」「Society」「Universe」のカテゴリーに当てはまる食のウェルビーイングの要因の例。

「何を」ではなく、「どう」食べるか

これらの要因は特別なものではなく、普段の食事でも生じているものです。例えば、目の前で焼く鉄板焼きのお店で親しい友人と食事をしているとします。「I」として「○○の肉は自分に合っている」と適食の選択があり、「We」として友人と一緒に食べることで過ごす時間があります。目の前で焼かれることで料理人との会話も生じるでしょう。また、食べる環境も相手との思い出があるお店であれば、特別なものになります。「Society」としては、味付けや素材が出身地のものであったり、「○○さんが育てた野菜です」と説明されることで感謝の念が生じたりします(図2)。

このように食の持続的ウェルビーイングの要因は、自身が食べるという行為だけでなく、一緒に食べている人やサービスを提供する人との共同行為の中に多く存在しています。つまり、私と一緒に食べている人や、提供する側の人と一緒に作り上げていく意識がなければ、食の持続的ウェルビーイングは成立しません。このように、「何を食べるか」と共に「どう食べるか」を考えていくことが、食の豊かさを深めるきっかけになるでしょう。

図2 外食での持続的ウェルビーイングの要因の例 [図2] 客の前で調理する鉄板焼きの店。この店に思い出がある友人と一緒に食事をするとき、料理人や友人とのコミュニケーション、食材や店の空間など、さまざまな持続的ウェルビーイングの要因が存在する。


*1 Calvo, R. & Peters, D.( 2014)『Positive Computing –Technology for wellbeing and human potential』 MIT Press.(邦訳:『ウェルビーイングの設計論 - 人がよりよく生きるための情報技術』渡邊淳司、ドミニク・チェン 監訳/ BNN /2017)
*2 『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術』 渡邊淳司、ドミニク・チェン 編著・監修/ BNN(2020)


目次


発行日 2020年11月1日
発 行 日本電信電話株式会社
編集長 渡邊淳司(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)
制 作 原 輝明(NAKED Inc.)
編 集 矢野裕彦(TEXTEDIT)
デザイン 小山田繭子(NAKED Inc.)、岩瀬知子(NAKED Inc.)



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