ウェルビーイングの視点から「特別の教科 道徳」の学びを拓く

2022年9月、10月に、世田谷区立尾山台中学校(福山隆彦 校長、生徒337人)において、自分や周囲の人のウェルビーイングについて考えるきっかけとなるツール「わたしたちのウェルビーイングカード」を用いた道徳の授業が実施されました。その模様をレポートします。

中学校の道徳教育のツールとしての「わたしたちのウェルビーイングカード」

NTTの研究所では、自身や周囲の人々のウェルビーイングに意識を向け、それを言語化し対話をうながすツールとして「わたしたちのウェルビーイングカード」の研究に取り組んでいます(ふるえVol.37参照)。このカードには、ウェルビーイングの要因となるキーワードが記載され、それらは「I(わたし)」「WE(わたしたち)」「SOCIETY(みんな)」「UNIVERSE(あらゆるもの)」の4つのカテゴリーに分けられています。例えば、「挑戦」や「自分らしさ」などの要因は「I」、「共感」や「感謝」は「WE」というように、その要因がどのカテゴリーに属するかがひと目でわかるようになっています(図1)。自分の幸せの価値観について急に聞かれても言葉にするのは難しいですが、このカードを使うことで、それぞれの人のエピソードが引き出され、相手と共有することができます。さらに、要因の種類やカテゴリーによって、その相違について対話をすることができます。

今回、NTTの研究所と東京都市大学坂倉杏介研究室との共同研究の中で、このカードが世田谷区立尾山台中学校3年生の「特別の教科 道徳」の授業で使用されることになり、その模様を取材しました。文部科学省による「中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 特別の教科 道徳編」[*1]によれば、道徳教育の目標は、「自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した一人の人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うこと」とされています。自立しつつ他者とともに生きる基盤となる道徳性は、まさに社会の中で“ わたしたち”としてウェルビーイングを実現していく上で必要不可欠な能力だと考えられます。また、指導要領では、学ぶべき内容項目が、主として、A:自分自身に関すること、B:人との関わりに関すること、C:集団や社会との関わりに関すること、D:生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること、に分類されていますが、これはまさに、「わたしたちのウェルビーイングカード」のI/WE/SOCIETY/UNIVERSEのカテゴリーと重なります。このように、「わたしたちのウェルビーイングカード」は、道徳教育の目的や内容と親和性のあるツールであると言えます。

[図1]「わたしたちのウェルビーイングカード」2022年 中学生道徳版(26種)

[図1] 「わたしたちのウェルビーイングカード」2022年 中学生道徳版(26種)
「熱中」「共感」「思いやり」といったウェルビーイングの要因を、「I(わたし)」「WE(わたしたち)」「SOCIETY(みんな)」「UNIVERSE(あらゆるもの)」の4つのカテゴリーに分けたカード。自分のウェルビーイングの要因に気が付くと同時に、他人の要因についても理解が進む。中学校の道徳教育での使用を通して、より使いやすいように要因の言葉のアレンジを続けている。ここで紹介するのは、尾山台中学校での利用を経て更新された26枚セット。
最新版 https://socialwellbeing.ilab.ntt.co.jp/tool_measure_wellbeingcard.html

[*1]中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 特別の教科 道徳編
https://www.mext.go.jp/content/220221-mxt_kyoiku02-100002180_004.pdf

カードを媒介とすることで生徒たちの活発な意見が飛び出す

授業を担当するのは、石渡由美主幹教諭。実施された授業の冒頭では、生徒たちがカードに慣れるウォーミングアップとして、「今、自分が大事に思っていること」をカード一覧から1枚選び、それを選んだ理由を3~5人の班で共有しました。なお、この授業では紙のカードではなく、タブレット端末を使用しました。表示されたカード一覧をから1枚選択すると、そのカードを拡大したり、自由に配置したりできる仕組みになっています(写真1)。各班で共有したあと、数人の生徒が選んだカードとその理由を発表しました。ここで生徒たちは、選んだカードが同じでもその理由は人によって異なること、逆に同じ対象(「受験」)について考えても、何を大事にしているかが異なることに気が付きました。


生徒が選んだカードと回答例

「挑戦」:高校受験に向けて勉強をがんばっている。
「挑戦」:中学生活最後の合唱コンクールで優勝をめざして いる。
「あこがれ・尊敬」:あこがれの先輩を目標に受験勉強を 頑張っている。
「生命・自然」:自然と隣り合わせで生きている。


[写真1] タブレット端末のアプリケーション上の「わたしたちのウェルビーイングカード」
[写真1] タブレット端末のアプリケーション上の「わたしたちのウェルビーイングカード」

[写真1] タブレット端末のアプリケーション上の「わたしたちのウェルビーイングカード」。一覧からカードを選ぶと拡大され、コメントなどを付けて表示できる。

続いて、教材となる作品『手品師』(江橋照雄・著/光村図書)を軸に授業が進みます。まず、先生がBGMとともに、その内容を生徒に読み聞かせます。その後、生徒に2つの発問をしました。これらの問いに、生徒はカードを使わず口頭で答えました。

手品師あらすじ
あるところに、腕はいいが、売れない手品師がいました。いつか大きな劇場で、華やかな舞台に立つことを夢見ていました。ある日、道ばたでしょんぼりとしている男の子を見かけて理由を聞くと、父親を亡くし、母親は働きに出て帰ってこないとのことでした。手品師は元気づけようと手品を披露し、喜んだ男の子は明日も来てほしいとお願いします。手品師は必ず来ると約束しました。その夜、手品師に友人から連絡があり、大劇場に出演予定だった手品師の代わりに出演しないかと依頼がありました。このチャンスを逃すと大舞台に立つチャンスは二度と訪れないかもしれませんが、手品師は少年との約束を守るためその誘いを断るのでした。

発問1:手品師はどんな気持ちで『きっと来るよ』と男の子に約束したのでしょうか?

生徒の回答例

・喜んでくれるなら、またこの子の前でやりたいと思ったから。
・男の子が喜ぶ顔を見てうれしく思ったから。
・予定もなく暇だったから。何もしないより男の子の前で手品をしたほうがいいと考えたから。


発問2:翌日、小さな町の片すみで、たった1人のお客さんを前に手品を披露している手品師の心情はどんなものだったでしょうか?

生徒の回答例

・大劇場でやるよりも自分を選んでくれた男の子の前でやるほうが、価値があると思った。
・慣れない大劇場で緊張して大きな失敗をするよりも、子どもの前で気楽にやるほうがいい。
・大劇場に来るような裕福な人を楽しませるより、悲しんでいる男の子一人を幸せにするほうが価値がある。


そして、先生は、これらの2つの問いへの答えを踏まえた上で、「あなたが手品師だったら、どんな行動をとったか」と問いかけます。生徒は、自分がとると思う行動と、そのとき大事にしたいことをカードから2枚選び、理由とともにタブレットに入力して提出します。その後、まず班に分かれて、行動と選んだカード、その理由を共有し、議論しました(写真2)。さらに、先生は、システムで生徒の回答を見ながら、数人にみんなの前での発表をうながしました。

先生:Aさん(生徒)は「大劇場に行って、あとで男の子に報告する」という行動をとるという。そのとき選んだカードは1枚目が「希望」。なぜ?

Aさん:成功したあと、男の子に自分が成長したことを伝え、男の子に生きる勇気や自信を持つことを伝えたい。

先生:なるほど。次の1枚は「挑戦」ですね。

Aさん:挑戦し続けることが大事だということを伝えたい。

[写真2] ウェルビーイングカード
[写真2] ウェルビーイングカード

[写真2] ウェルビーイングカードを媒介とすることで、生徒から自分の意見が引き出され、活発な意見交換が行われた。

このように、先生のタイミングのよい問いかけに合わせて、生徒は発表していきました(写真3)。興味深いことに、前半の発問では手品師の心情や行動に共感しつつも、この発問で自分が手品師の立場となった場合は、「大劇場に行く」という回答も多くありました。

[写真3] 選択したカードを表示しながら、生徒が自分の意見を発表していく

[写真3] 選択したカードを表示しながら、生徒が自分の意見を発表していく。選んだ要因とその理由という明快なかたちで意見がまとまっていた。


そのほかの回答例

■男の子の前で手品を披露する
「共感」:自分にお客さんがいなくて孤独だという気持ちと、男の子も親がそばにいなくて孤独だという境遇が同じだと感じる。
「秩序」:先に約束をしていたから。
■男の子には置き手紙をして大劇場に行く
「達成」:手紙で男の子には事情を伝え、手品を見せるという約束はあとで果たす。
「思いやり」:何も言わずに大劇場に行くと、男の子が落ち込んでしまうから。
■大劇場に行く
大劇場に行くと男の子との約束を破ってしまうことになるけれど、大劇場で手品をやる機会はもう二度と来ないかもしれないから。男の子には別の日にまたいくらでも手品を見せてあげられるから。
「成長」:自分が大劇場の舞台に立ち、手品師として成長できるから。
「あこがれ・尊敬」:大劇場へのあこがれがあるから。
■大劇場に行く
親の許可が得られれば男の子を連れていくが、許可が得られなければ自分だけで行く。
「挑戦」:大劇場で大成功する可能性もあるので、挑戦したほうが自分のためになる。
「感謝」:大劇場に行けるのも友達から推薦されたからなので、その人に対して感謝を表したい。


「わたしたちのウェルビーイングカード」で生徒から引き出されたもの

授業後、尾山台中学校の稲 満美 副校長を始めとする先生方との振り返りの中で、カードを道徳の授業で使う利点について伺いました。例えば、発問に対して、生徒がいきなり発言するのではなく、カードを使うことで考えるきっかけが生まれたり、カードを組み合わせて考えることができるという利点がありました。また、「この子はどんなカードを選んで何を話すのだろう?」というワクワク感が生まれ、生徒がより集中する感覚があるとのことでした。確かに、自分と同じカードが選ばれて「一緒だ!」という喜びは、発表の中でも感じられました。また、カードを2枚選ぶということは、物事を一つの面だけから考えるのではなく、矛盾する心情も含めて複数の面から考えることを肯定しているとも言えます。

また、生徒からの感想には、「班の中でも意見が分かれた。いろいろな人の考え方を尊重していけたらいいなと思いました」という意見もありました。今回は、1つの教材についてでしたが、道徳の授業において、「わたしたちのウェルビーイングカード」は、互いの気持ちを共有し、相手を尊重しながら「一人ひとりの多様な幸せと全体の幸せ」を考える助けとなることができたかもしれません。

生徒それぞれの思いがあふれる道徳教育
駒澤大学 総合教育研究部 鴨井雅芳氏

今回の授業をご覧になった道徳教育の専門家、鴨井雅芳先生に感想を伺いました。

今日、初めて見させていただきましたが、カードを使った「自分だったらどんな行動をするか?」という発問では、それぞれの生徒が、カードがあるからこそ、思いを広げ、本音を話せているように感じました。例えば、同じ「友情」という言葉でも、生徒それぞれ異なる思いがあるはずです。それが出せているように感じました。

従来の道徳の授業で扱う「手品師」は、「誠実」という価値についての理解を深めるための教材です。手品師がなぜ、自分の夢を捨ててまで子どものもとに向かったのか、そこに何があるのかを考える教材になっているわけです。今日は、通常の道徳での扱い方とは異なる扱い方、それがよいか悪いかではなく、今日の扱いのほうが、生徒の本音が出ていたように思います。

本来、道徳の授業で大切なことは、どういう行動をしたかではなく、その行動の裏に何があったかを考えることです。今回だとカードを選んだ理由、その奥にある思いが大事なのです。カードを使用することで生徒それぞれが自分の思いを話せていたことが、素晴らしいと思いました。もしかしたら、カードに書かれた要因のバリエーションが多様であったことが、よかったのかもしれません。道徳の教材の扱い方は一様ではなく、時代とともに変わります。今、一番言われているのは、主体的、対話的で深い学び、「アクティブラーニング」です。生徒が自由に発想を広げられる、今日のような扱い方はとても面白いですし、それも道徳の時間の一つのあり方ではないかと思いました。


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