現在の触感提示技術の多くは、特別な装置を必要とするものが多く、誰もが使えるものにはなっていないのが現状です。一方で、人間の認知特性を利用して、視覚情報だけから“擬似的な”触感を生み出すPseudo-Haptics(シュード・ハプティクス)という感覚提示の方法が知られています。これは、既存のモニタのみで実現可能であり、映像広告やゲームなど、社会で活用しやすい技術といえます。本レポートでは、そのメカニズムに迫りたいと思います。
写真提供:明治大学 渡邊恵太 研究室
︙ マウスカーソルが “重たい” のはなぜ?
普段、パソコンを操作しているときに、カーソルの動きが突然ゆっくりになることがあります。このときカーソルの動きの視覚的な変化を “重い” と触覚的に感じることはないでしょうか。私たちは、視覚情報だけからその触感を予測することができます。たとえば、“光沢を持った素材は滑らかそうだ”とか、“半透明な物体は軟らかそうだ”とか、ほとんど無意識のうちに予測します。そして、自分の手で触れる対象、もしくは自分の手で動かしている対象の視覚情報に対しては、“これに触れたら痛そうだ”等、自分の身体感覚と結びつけた予測が行われます。このことは逆に、自分の働きかけに対する視覚情報が自分の予測と異なる場合には、単に視覚情報の予測間違いではなく、対象の触感の予測間違いだと解釈されます。
先ほどのカーソルの例では、普段のカーソルの動きから、「カーソルは、これくらいのスピードで(滑らかさを感じて)動くだろう」と予測するわけですが、カーソルの動きが予測より遅かった場合、「カーソルが重くなった」とか、「カーソルで操作している対象の粘性が増えた」と解釈されます。このように、自分が操作している対象の視覚情報の予測間違いが、触感の予測間違いとして解釈されるため、物理的に触感を提示しなくても、視覚情報だけからさまざまな“触感”をつくりだすことができるのです。
このような視覚情報によって生じる触覚的な感覚を“擬似触覚(Pseudo-Haptics)”と呼びます。Pseudoとは「何かを模した」という意味で、Hapticsは「皮膚の感覚だけでなく力や重さを感じる感覚まで含めた触覚(正確には体性感覚と呼ばれます)」という意味です。Pseudo-Hapticsは2000年頃に海外のコンピュータインターフェース研究の中で取り上げられ、現在、日本でも多くの応用研究が行われています。
最近では、安室奈美恵さんの『Golden Touch』(2015年)という曲のミュージックビデオでもこの手法が応用されています*1。画面に指で触れていると、音楽とともに、指に向かって風船が近づいて、指のところでパーンと割れたり、指先に小鳥が乗ったり、将棋の駒を押したり… 、さまざまな“擬似触感”を感じることができます。これらは、映像を見ているだけだと、ただ、風船が動いて割れ、小鳥が飛び、将棋の駒が動くだけなのですが、画面に指を置くことで、自分の身体と関連づけた視覚情報の処理が促されます。
︙ センス・オブ・エイジェンシー(Sense of Agency)
Pseudo-Hapticsのメカニズムを考える上で“センス・オブ・エイジェンシー(Sense of Agency)”いう重要な概念があります。センス・オブ・エイジェンシーとは、「自己主体感」などと訳され、自分が「エイジェント」を通して何かを意図通りに操作している、という感覚を指します。自分の手は最も馴染み深い「エイジェント」ですし、道具や自分の身体から離れたカーソルも「エイジェント」となります。そして、エイジェントが何かに触れると、自分が何かに触れたように感じます。つまり、このセンス・オブ・エイジェンシーのために、画面の中で起きた出来事を自身の身体と関連付け、触感を感じるというわけです。また、センス・オブ・エイジェンシーは、ボタン押しのような一回の動作よりも、カーソル操作のような連続的な動作の時に強く感じます。このような性質をうまく利用した研究に、明治大学渡邊恵太講師の“Cursor Camouflage”*2があります(本頁上部の写真参照)。このアプリケーションでは、たくさんのカーソルが画面上に現れますが、ユーザーの操作に合わせて動く(=センス・オブ・エイジェンシーを感じる)カーソルは一つだけで、他はランダムに動いています。ユーザーは、操作との関連から自身のカーソルを区別することができますが、外から見ている人にとってはどのカーソルも区別がつきません。これをパスワード入力時の秘匿化に利用しています。このように、センス・オブ・エイジェンシーは、ユーザーと操作対象をつなぎとめる重要な認知特性であり、インターフェース設計において、今後ますます注目される概念です。
*1光と五感のデザイン学 考えるあかり「安室奈美恵MVで使われた「視覚が生み出す触感」ってなんだ? ――触覚とクリエイティブの未来」http://kangaeruakari.jp/2015/11/3903/
*2明治大学総合数理学部 渡邊恵太 研究室http://www.persistent.org/