“個は溶け去ってしまうほうがいい” コミュニティと信用経済の時代
私たちの経済活動を支え、利便性をもたらす貨幣。では、貨幣があればウェルビーイングは実現されるのか? また、貨幣はこの先どのように変化し、その時代の幸せとはどのようなものなのか? 経済とウェルビーイングの関係について『新しい時代のお金の教科書』を上梓された山口揚平さんに話を聞きました。
山口 揚平
山口 揚平
ブルー・マーリン・パートナーズ
株式会社 代表取締役
株式会社シェアーズ 代表取締役
大手コンサルティング会社でカネボウやダイエーなどの企業再生に携わった後、独立・起業。現在は複数の事業・会社を運営する傍ら、執筆・講演活動を行っている。東京大学大学院修士。専門は貨幣論・情報化社会論。

貨幣経済の問題点とは?

—近年、貨幣経済の問題が顕在化してきているように思います。

山口:メディアでは「1パーセントの富裕層が、全世界の50パーセント以上の資産を所有している」といった言葉をよく聞きます。確かに問題ですが、よくよく考えてみると、社会における格差は貨幣が誕生する以前からあったはずです。王家と庶民といった血筋による格差、身体能力による格差などなど。つまり、格差は貨幣の本質的な問題ではないと言えるでしょう。格差や貧困は、ひょっとするとテクノロジーの問題かもしれないし、うまく再分配できていないといった政治の問題かもしれません。

—では、貨幣が引き起こす本質的な問題とは何でしょう?

山口:私が特に問題だと感じているのは、「文脈の毀損」です。商品をはじめとする“モノ”には、実はストーリーがあります。例えば、コーヒー1杯にしても、どのような農園で栽培されたか、その豆はどのような経緯で誕生して、さらに手に入れるのにどのような苦労をしたのか、といった豊かな文脈があるわけです。本来、価値あるそういった文脈が、貨幣取引の商品となった瞬間に失われてしまうんです。単に「○○円の商品です」といった具合です。貨幣の単位で語られた瞬間、さまざまな思いや物語が漂白されてしまうのです。
  文脈の毀損は、格差などよりはるかに大きい問題だと思います。貨幣による経済が物語や人間の関係性を分断し、私たちの幸せを阻害しているのです。しかも、知らないうちに蝕まれていることが多いのです。

一杯のコーヒーにも、産地の特徴や生産者の苦労、どのような経緯で入手してそれにどれくらい苦労したかなど、そこに込められたストーリーがあるが、「このコーヒーは500円」と言い換えた瞬間にそれらのストーリーが漂白されてしまう。

解決策は新しい形のコミュニティにある

—貨幣経済で生きている私たちに、解決策はあるのでしょうか?

山口:そういった状況へのカウンターカルチャー、あるいはカウンターソサエティとして生まれてきているのが、新しい形のコミュニティです。ちなみに人は、3つのコミュニティに属していると言われています。すなわち、①セーフティネットとしてのコミュニティ、②インセンティブに関するコミュニティ、③価値観や志を共有するコミュニティです。①は家族や恋人、地域のつながり。②は勤めている会社など経済目的のもの。③は趣味のグループなどで、国や民族を超えたものも含みます。
  理想的なコミュニティとは、家族間の関係性を拡張したものと言えます。そして相互にコントリビューション(貢献)するのが重要です。さらに目的があること、明確に外に対して価値を提供していることもポイントです。そういったコミュニティでは、タテではなくヨコのつながりが重要になります。このように、いろいろとコミュニティ論が盛んになっている中、私もコミュニティと貨幣との関係について考えることが多くなっています。

人は、セーフティネット、インセンティブに関するもの、価値観や志を共有するもの、という目的が異なる3つのコミュニティに属していると言われている。

—なるほど。では、コミュニティにおける貨幣の役割はどのようなものだとお考えですか?

山口:そうですね。まず、貨幣には2つの側面があります。ひとつは「信用」という側面です。この信用がお金を下支えしているんです。言ってみれば貨幣は、外部化された信用なのです。クラウドファンディングの登場が象徴的ですね。クラウドファンディングでは信用がある人はお金を集めることができる、言わば社会という金庫から資金を引き出せるということになります。もうひとつは「数字」という側面です。数字は、コミュニケーションにおける最強の言語とも言えます。言葉や理屈が通じない相手でも、数字は通用します。つまり、貨幣があれば交渉が可能になるというわけです。
  ちなみに、財政や財力という意味の「finance」には語源が2つあり、ひとつは「王の蔵」なんですが、もうひとつはラテン語で「終わり」を意味する「finis」なんだそうです。“お金を払って終わりにする”といったニュアンスなんですね。こちらも、理屈が通じない相手に対する最終手段という意味合いを感じますね。
  一方コミュニティの中では、貨幣が必要ないと考えられます。理想的なコミュニティの仲間は、家族間の関係を拡張したものだと言いましたが、家族間で貨幣を使用してコミュニケーションを取る必要はないはずです。

—では、コミュティの中で貨幣の代わりになるような仕組みはあるのでしょうか?

山口:シェアや貸し借りなど、信用を中心とした経済システムです。そして貨幣を使わないということは、「文脈の毀損」を防ぐことができるわけです。幸せを阻害されない、ヘルシーで心地のいい生活が送れるはずです。それが、コミュニティが貨幣経済に関する問題の解決策となる理由です。
  ただし、コミュニティの外に対しては貨幣を使うことになります。異なるコミュニティ同士のコミュニケーションの手段ということです。貨幣は便利なハブなので、その役目は残しつつ、使う主体は個人からコミュニティに移行していくでしょう。またそれらを下支えするのは、もはや国家ではなく、ブロックチェーンベースの仮想通貨やトークンといったものに変化すると考えられます。

—大きくパラダイムが変化するということですね。

山口:「個人の時代」という言葉も盛んに言われていますが、私はそれはもう終わりで、これからは、説明してきたように「コミュニティ」の時代になるでしょう。「エコシステム」の時代とも言えます。個人はコミュニティの中では貨幣は使わず、シェアや貸し借りといった信用のシステムを利用することになるでしょう。

コミュニティの中では、貨幣の代わりにシェアや貸し借りといった、より親密な間柄で成立する信用をベースとした経済システムを利用することで、文脈の毀損を防ぐ。貨幣は、コミュニティ間のやり取りで使用される。

—最後に、これからの時代を幸せに過ごすためのアドバイスがあればお願いします。

山口:そんな時代におすすめするのは、ひとつは強いコミュニティの中に入ることです。ソリッドなコミュニティとか、拡張するコミュニティでもいいでしょう。企業でいうと、外に対して稼ぐ力があるということですね。もうひとつは、コミュニティの創業メンバーになることです。特に、新しい価値観を持ったコミュニティの創業メンバーになることが重要です。その中で個人はどうあるべきか? 私はソリッドに個を保つより、“個は溶け去ってしまうほうがいい”と思います。コミュニティに重きを置き、個を喪失させるわけです。そうすれば行き詰まった貨幣経済から解放され、もっと楽に生きていけるはずですよ。


Copyright © NTT