コロナ禍で変化する
働き方と家族のあり方
少子化社会の先にあるウェルビーイングとは?
科学的なデータを基に、働き方や家族にまつわる課題を経済学の立場から分析。その視点の鋭さで注目を集める山口慎太郎氏。現在はコロナ禍による影響を研究中だという。働き方や家族のあり方は、どのように変化していくのだろうか? 決して悲観すべきではないという同氏の意見に耳を傾けてみよう。
山口慎太郎
Shintaro Yamaguchi
東京大学大学院経済学研究科教授。1999年、慶應義塾大学商学部卒業。2006年、ウィスコンシン大学マディソン校にて経済学博士号を取得。マクマスター大学助教授・准教授、東京大学大学院経済学研究科准教授を経て、2019年より現職。
海外での研究を経て日本へ
専門は家族の幸せに関する経済学
—山口さんのご専門、そして、「家族の経済学」の研究に至る過程について教えてください。
山口:まず、私の専門は「労働経済学」になります。文字どおり働くことに関する経済学で、賃金や労働時間、失業問題などが中心的なテーマです。私は30歳でアメリカの大学で経済学の博士号を取得したのですが、その頃の研究テーマは、主に男性の労働者がどのようにキャリアを積み上げて収入を増やしていくのかというもので、比較的スタンダードな労働経済学のテーマでした。その後はカナダの大学で、主に北米のデータを基に研究や教育に携わっていました。しかし次第に、自分が生まれ育った日本のことを取り上げたいと思うようになりました。
—日本の研究にはどのような視点から取り組まれたのでしょうか?山口:日本にとって重要なイシューは何なのか、北米と比較して考えてみました。すると、その1つに社会における女性の活躍の度合いが関係していると気付いたんです。北米のほうが圧倒的に女性の活躍度が高いのです。では、日本でもっと女性が活躍するにはどうすればいいのかを考えました。
最初に注目したのは「育休」です。しかし、研究を始めてみると、育休はそれほど効果が大きくなさそうでした。その頃、既に日本の育休制度はかなり充実していたんです。次に、当時話題になっていた「待機児童」や「保育園」についても取り組みました。ちなみに日本においては、保育園は「母親が働けるようになるための施設」という考え方が一般的です。しかし、欧米では、保育園も「幼児教育の一環である」と捉えられているんですね。
そういった違いも意識しつつ、今度は子どもや子育てに関しても研究を進めました。考えてみると、子どもが安心して過ごせないと親も安心して働けません。つまり、子どもに関するイシューも労働経済学で扱うべき分野なのです。このように男性から女性、そして子どもへと視点が移っていき、それらを包括する「家族の経済学」が自分の研究の中心となりました(写真1)。
[写真1] 『「家族の幸せ」の経済学 データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実』山口慎太郎 著/光文社(2019)
出産や子育てにまつわる逸話など、世の中で幅を利かせるエビデンスのない思い込みなどを、経済学をベースとしたデータと視点で考察し、幸せと安心に導く。
日本の少子化問題に対する回答
社会全体で子どもを育てる
—家族や子どもに関するイシューといえば、日本では少子化が問題となっています。
山口:そうですね。結婚をするかしないか、子どもを持つかどうかは、基本的には各個人の自由だと考えられます。ただし、社会全体として考えた場合は、子どもが少ないと問題が出てくるんです。少子化が進むと、端的に言えば、少ない現役世代が多くの引退世代を支えなければならなくなります。こうした事態を避けるために国が少子化を解消するための政策を打ち出すのは、合理的な判断と言えるでしょう。保育環境を整備するとか、児童手当を用意するなどですね。
—それらをどこまで税金から支出するべきか、難しい議論になるのではないでしょうか?山口::そうですね。ただ、長い人生や日本全体という視点で見ると、たとえ結婚せず、子どもがいなかったとしても、税制や社会保障制度を通して、将来は自分以外の子どもに間接的に支えてもらうことになります。少子化解消のための支出は、回り回って、結局国民全員のためになります。いわば、社会全体で子どもを育てていこうという発想です。
—なるほど。このような考え方は今後も続いていくでしょうか?山口:続くと思ってますし、続けるべきだと考えています。その理由は、まず子どもにメリットがあるからです。子どもは親を選べません。子育てができないような貧困家庭に生まれてしまうこともあります。そうした状況は、社会全体による子育てで改善していけるでしょう。
そして社会が子育てをサポートするということは、親の考え方や行動にも影響を与えます。親や家族が子育ての責任をすべて持つというのは、けっこう負担が大きくなる可能性があります。特に若い世代にとってはそうですね。「そこまで大変だったら敬遠しちゃうな……」という人も出てくるでしょう。しかし、保育や児童手当などで支えてもらえるなら、結婚して子どもを持つ人生を選択してみようという人も増えるはずです。社会が子育てをサポートし責任を持つという仕組みは、経済学的にも推進していくべきだと思います。
コロナ禍でますます重視される
家族の大切さ
—現在(2021年夏)、コロナ禍が続いています。この状況は、家族のあり方や人々の働き方に影響を与えているでしょうか?
山口:それは今、ちょうど研究に取り組んでいる内容です。コロナ禍における生活意識などの変化を、内閣府が調査しています。そのデータを分析したところ、面白い動向が見えてきました。コロナ禍の変化として多く出てきた回答のパターンが、「家族を大事に思うようになった」というものでした。これは日本だけでなく、アメリカやヨーロッパでも同様の傾向にあります。経済は世界的に見てもネガティブな状況です。家計も良くない状況でしょう。普通は世帯所得が減ると家の中の人間関係は悪くなるんですが、逆になっているということですね。日本に関して詳しくデータを見てみると、さらにユニークな傾向が見えてきました。子どもがいない独身の方なんですが、男女問わず「結婚したくなった」という回答が増えていました(グラフ1)。
[グラフ1] 内閣府による、新型コロナウイルス感染拡大前と拡大後の結婚への関心の変化の調査結果。関心が高くなった人が関心が低くなった人を上回る結果となった。年齢別では、特に20歳代と30歳代は大幅に上回っている。
内閣府:『新型コロナウイルス感染症の影響下における 生活意識・行動の変化に関する調査』(2020年12月24日)から編集部制作。
山口:コロナ禍で、多くの人は出社が減り外出も控えるようになりました。そのため人間関係に対する飢えのようなものが生じ、このような結果になったのではと考えています。私たちの研究グループでは、さらにテレワークの影響についても分析を行っています。テレワークをしている人は、自然と家族と過ごす時間が増えます。その結果、特に子どもがいる既婚男性の場合は、さらに家族を重視するようになったという結果が出ています。テレワークの結果として父親が子どもと触れ合う時間が生まれ、わが子をより大事に思うようになる。これはテレワークの思わぬ効果かもしれません。
—なるほど。一方で、テレワークは業務などの生産性が下がるのではという懸念も取り沙汰されています。山口:アンケート調査によれば、コロナ禍による生産性への影響はある程度あったと言えます(グラフ2)。しかし、私の研究チームの分析では、テレワークが原因で生産性が下がった人は多くはいなかったようです。ただし状況的には、テレワークが導入しやすい職種から進められているので、このような結果になった可能性もあります。また、計測方法としてはあくまでも主観なので、実感ベースです。例えば、雇用者と従業員では見えているものが違うと思います。
[グラフ2] 内閣府による、新型コロナウイルス感染拡大前後の仕事の生産性の変化についての調査結果。生産性が下がったと答えた人は2020年12月時点で34.1%となっている。
内閣府:『新型コロナウイルス感染症の影響下における 生活意識・行動の変化に関する調査』(2020年12月24日)から編集部制作。
たとえ人口減少が進んでも
ウェルビーイングは実現できる
—理由はどうあれ、テレワークというワークスタイルが多くの人に認知されるようになりました。この先も影響は広がっていくと思いますか?
山口:影響はさらに広がるでしょう。仕事面でいえば、Face to Face のインタラクションがゼロになることはないでしょう。しかし、テレワークによって会社などに行く頻度は減ります。すると、住む場所や子育てをする場所の選択基準も変わってきます。コロナ禍で家族の重要性も高まっているため、例えば、自然が豊かな場所やより広々とした家や敷地がある場所に移り住むこともありえるでしょう。
—そのほうが、子どもがのびのびと成長できそうですね。山口:そしてテレワークに代表されるテクノロジーの進化は、実はほかの労働問題の解決にも役立つ可能性があります。先ほど話した少子化とも関連しますが、日本は人口が減少しつつあり、労働人口も減っています。何か対策が必要です。私は、日本にはまだまだ未活用の力があり、そこを掘り起こすことが対策につながると考えています。
例えば、本来は東京などの都市部で活躍できる才能を持っているのに、何らかの理由で地方に住んでいる人もいるでしょう。テレワークの普及は、そうした物理的な距離を小さくすることが可能なので、より多くの人にチャンスが与えられるでしょう。もちろんテクノロジーの進化はテレワークだけではありません。離れた場所から遠隔操作や会話ができるOriHimeのようなロボットも登場しています(写真2)。
また、現在ではインクルーシブな社会が求められていますが、こうした流れも未活用の力を掘り起こすのにプラスに働くと思います。テクノロジーによって、例えば身体や感覚が異なる多様な人たちでも、これまでとは違ったかたちで能力を発揮できるようになるはずです。
—人口減少が進んでも、悲観する必要はないのですね。山口:ええ。インクルーシブな社会を目指したテクノロジー導入などの動きは、物質的なものだけでなく精神的な豊かさにもつながります。精神的な豊かさとは、やはり他人から必要とされている、あるいは自分は社会の中で働いているという実感から生まれてくるものだと思います。さらには、テクノロジーによってワークライフバランスの健全化も可能なはずです。こうした働き方は、身体的にも精神的にも、そして経済学的にも良好な、ウェルビーイングを実現する社会にも結びついていくでしょう。
[写真2] 遠隔地から操縦してアクションを取ったり話したりできる分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」。病気や障がい、単身赴任などの理由で行きたいところに行けない人が社会参画できるツールとして期待されている。