ブータンでの学びを
福井のまちづくりへ
地域社会における「居場所」と「舞台」
地域社会におけるウェルビーイングを考えるポイントはどこにあるのか。ブータン王国のGNH(国民総幸福量)の政策立案にも関わり、現在は福井県立大学でウェルビーイングに基づく街づくりの研究と実践を行っている高野 翔さんに話を聞きました。
高野 翔
Sho Takano
福井県立大学 地域経済研究所 准教授。ウェルビーイング学会理事。1983年福井市生まれ。英国シューマッハカレッジ卒(Master of Arts)。2009~2020年、JICA(国際協力機構)にて、アジア・アフリカ地域の約20カ国で持続可能な国づくり・地域づくりプロジェクトを担当。2014~2017年、ブータン王国にて人々の幸せを国是とするGNH(国民総幸福量)を軸とした国づくりに協力。2020年より現職。
ブータン王国からのギフト
—高野さんがウェルビーイングの研究・活動に携わるようになった経緯について教えてください。高野:私がウェルビーイングに関わるきっかけはJICA(国際協力機構)での活動でした。JICAでは2009年から、発展途上国における持続可能な国・地域づくりに携わってきましたが、2011年の東日本大震災の際にブータンの国王夫妻が福島の被災地を訪問されたのですが、そこでのメッセージが強く心に残り、自分の中で大きな意識の変容がありました。その影響もあり、2014年から3年間、家族と一緒にブータン王国に住んで政府の皆さんと国づくりの活動をご一緒させていただきました(写真1)
[写真1] ブータン王国での現地調査を行う高野 翔氏。経済的な指標としては貧困に近くても、人同士の関係性という視点では確固たる基盤があることを実感したという。
高野:はい。幸せな発展とは何なのか、私自身わからなくなっていた時期でもあり、人々の幸せを国是とするというシンプルでありながら深遠なコンセプトに魅かれました。国際協力といえば、日本のような「先進国」が「途上国」に技術や知識を提供するというイメージがありますが、私自身はブータンから学びたいと思って、GNHの実地調査や、調査結果に基づいた政策づくりをブータン政府の皆さんとご一緒しました。ここでの経験が、ウェルビーイングを考える上での、タッチポイントとなったと思います。
—そこから高野さんの地元である福井県での活動にはどのようにつながっていったのでしょうか?高野:これまでブータンをはじめ20カ国以上で国・地域づくりに関わってきましたが、最終的にはそこに住む人々の思いや行動変容が重要となります。私が各国で国際協力の活動をする中で「自分自身が住んだり大事に思っている街に一体何を貢献できているのか?」という問いかけをされているように感じるようになりました。そして、JICAの仕事を続けながら福井県での街づくりにも関わるようになり、2020年からは福井県立大学の地域経済研究所で公共政策にウェルビーイングの概念・視点を取り入れる研究を実践と織り交ぜながら取り組んでいます。
—これまでの福井県での活動について教えてください。高野:例えば、2013年には『Community Travel Guide 福井人』という市民参加型の観光ガイドブックを制作しました。福井には観光施設がたくさんあるわけではありませんが、「地域づくりの主役は“人” である」という視点からはとても魅力的な場所で、魅力的な人を通じて福井の魅力を紹介するコンセプトのガイドブックを制作しました。また、2018年に福井では記録的な豪雪があり、福井市では除雪のために約50億円の費用がかかってしまいました。予算不足の影響で151の事業が中止・縮減を検討せざるを得なくなりましたが、市民の想像力でこの逆境をチャンスと捉えられないかと企画したのが「できるフェス」です。具体的な活動としては、中止となった小学校の夏休みのプール開放の代わりに、福井中央公園に家庭用の小さなプールを市民がそれぞれ持ち寄って子どもたちに楽しいプール空間を提供するというものがあります。また、新しい本の購入費は削減となりましたが、参加者が1冊ずつお気に入りの本を持ち寄って本の交換市を開くといったイベントも実施しました。
指標づくりと街づくり
—福井県のウェルビーイングについて教えてください。高野:もともと福井県は、2年に一度行われる「全47都道府県幸福度ランキング」(日本総合研究所)で、2014年から2020年まで4回連続で総合1位になるなど、ウェルビーイングと関わりの深い県です。この調査では客観的指標が用いられていて、例えば、「文化度」を娯楽消費額や本の購入金額で測っています。一方で、私はそれぞれの人が感じている主観的な幸福(subjective well-being)、主観的指標にも興味があり、2019年から地元紙の福井新聞、日立京大ラボと協働で「未来の幸せアクションリサーチ」を実施しています。どんなときに幸せを実感するか、アンケートを通じて1000人以上の福井県人から声が届き、ブータンのGNHも参考にして「福井人の幸せ分類・指標」を作りました(写真2)
[写真2] 福井新聞、日立京大ラボと協働した「未来の幸せアクションリサーチ」でのひとこま。福井人1000人を対象に、どんなときに幸せを実感するか調査を行った。
高野:幸せを実感する150の指標を9個のカテゴリに分類したところ、数が多い順に「家族・友人」「食と農」「健康」「時間の使い方」「仕事・マイプロ」「自然」「まちづくり」「学び」「文化」となりました(図1)。特徴的なのは、福井での幸せの実感には「食」が欠かせないということでした。テキスト分析でも「おいしい」というキーワードが一番多かったです。これは福井の食べ物がおいしいだけではなく、地域社会では家族や友人とのコミュニティやコミュニケーションの中心に「食」があるということを示唆しているのかもしれません。
[図1] 「未来の幸せアクションリサーチ」では、福井人が幸せと感じる指標を9つに分類した図を公表した。ブータンと比較すると、幸せの実感には食が欠かせないという特徴が見られた。
» 福井新聞のサイトより
高野:ブータンでのGNH調査で「あなたが困っているときに、何人が助けてくれますか?」という質問項目があります。私が調査に同行した際、人口300人ほどの村に住む20代の若者は50人だと答えました。ブータン全体の平均値は13人程度なのですが、彼の表情などを見ていても、少なくともブータンには“ 関係性の貧困” は存在しないのではないかと感じさせてくれました。もちろん、その結果をもってブータンが社会課題が存在しない理想郷だと述べることはできませんが、日本の地域社会のウェルビーイングを考える上でも、社会的関係性のあり方は重要なファクターであろうと思います。
—日本の地域社会では、その関係性が息苦しさを生んでいる側面もあるように思えますが、この点はいかがでしょう?高野:確かに、欧米やブータンに比べて、日本では「しがらみ」のような社会的関係性の負の側面が表出しがちである気もします。しかし、社会の中で生きていくには、人とのつながりが必ず必要になりますし、良い面と悪い面を知った上で、多様性への関心や異質なものへの寛容を伴った関係性をどう築いていくかが重要になってくるでしょう。ウェルビーイングの観点では、自己決定感が損なわれるつながりや相互理解のリスペクトが欠けたつながりは、負の側面が強くなってしまう可能性があると思います。
—地元の人たちと行う街づくりの活動と、ウェルビーイングの指標づくりの両方に関わられているのですね。高野:私自身は理論と実践の両方をつなげられる人になれたらなと思います。ウェルビーイングという言葉だけで意識や行動の変容がもたらされるのであればいいのですが、現実にはそれだけでは難しいと考えています。言葉の定義や指標を検討するのと同時に、そこに暮らす人々との体験や共感が大事だと思うのです。
地方における「居場所」と「舞台」とは
—福井県内でも場所によって傾向は異なりますか?高野:同じ福井といっても、福井市の中心部の都市型のコミュニティと農村部のコミュニティでは、その成り立ちや関係性のあり方に違いがあります。ウェルビーイングについて講演する際も、都市部のビジネスパーソンの皆さんはウェルビーイングというキーワード自体に興味を示してくれますが、地域の場などではウェルビーイングという言葉よりも地域づくりの視点から「居場所」や「舞台」という言葉を使ってお話をしています。
—「居場所」と「舞台」は、どんな意味を持っていますか?高野:まず、それらの背景として、私自身の人間観というか世界観として「尊厳」と「可能性」についてお話ししたいと思います。これは私がJICAに入った際の理事長だった緒方貞子さんに影響を受けた考え方です。よく知られているように、緒方さんはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のトップとして多大な功績を残された方で、「すべての人に尊厳を」という言葉を繰り返しおっしゃっていました。これは、人間は肌の色、性的指向、生まれなどによることなく、それぞれが備える固有の性質は絶対に侵されるべきではない尊厳を持つという人間観です。そしてもう1つは、それらが守られた上で、誰もが持つ可能性や潜在能力を引き出せる社会を皆でつくり上げなければならないというものです。この人間観に基づいて地域社会を考えると、尊厳とは、自分が自分らしくいられて安心できる「居場所」のことだろうと考えました。さらに、潜在能力や可能性を開花させる表現の「舞台」が街づくり、地域づくりには必要なのです。私自身もまた、福井が自分の居場所であり舞台であると感じるようになったので故郷に帰ってきたと思うのです。
—居場所と舞台はどのように異なるのでしょうか?高野:居場所は、ありのままの自分が受け入れられる場所という意味なので、それが街中であれ、家庭内であれ、自分のリズムが整っている「Well-being」であるイメージに近いでしょうか。一方、舞台は、それぞれの人が持つ固有のリズムを重ね合わせ共鳴させる「Well-doing」の場というイメージです。アランの『幸福論』では「幸せになりたい人は、舞台に上がらなくてはならない」という日本語訳がありますが、自分の人生にオーナーシップを持ち、やりたいことを見つけたり、表現できる場としての舞台が必要になってくるのではないかと考えています。
地域社会に「学びの場」をつくる
—例えば、学校や会社は居場所でしょうか? それとも舞台でしょうか?高野:両方の側面がありますね。特に社会的インフラと言われる学校や図書館、公園や公共施設は居場所であると同時に舞台性を帯びることで地域社会に変化をもたらすのではないかと考えています。もちろん、どこに舞台性を見出すかは個人個人の考え方にもよると思います。しかし、例えば福井であれば、福井市の街中に都市型コミュニティをつくることで、もともと存在した農村型コミュニティとの違いから、それぞれの魅力も際立ってくるでしょう。もちろん、都市型といっても東京や大阪といった大都市のそれとは違い、例えば、福井の異なる地域に住む人々が集い、多様性や寛容性が育まれる市民大学のような「学びの場」が求められているのだと思います。これは地縁型のコミュニティというよりは、共通の関心事・好きなことや目的意識を持った人たちによって構成されるアソシエーション(Association)です。私としては、地方都市の中心地には、新しい人と出会ってつながれる場所、学び合える舞台が必要で、地方都市の役割はそのように変化していくだろうと考えていますし、その際にウェルビーイングの世界観をエッセンスとして取り込んでいくことが重要なのだと思います。