通信インフラの未来とその価値を認知・知覚の拡張から共創する

「伝わる」「分かり合う」コミュニケーションを実現する人間拡張基盤®

通信インフラの機能が進化したとき、それは人と人のコミュニケーションをどのように豊かにすることができるのでしょうか。また、どんな価値を社会にもたらすのでしょうか。NTTドコモ6G - IOWN 推進部で、人間拡張基盤® の開発を進める石川博規さんに、伺いました。

石川博規

石川博規
Hironori Ishikawa

NTTドコモ 6G-IOWN推進部。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科 特任教授。広島生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。専門は機械工学。NTTドコモ入社後、携帯電話やアプリケーションの開発に従事。2020年より、IOWN / 6G時代における新しいコミュニケーションの創造に向けて、さまざまなパートナーと連携し、人間拡張基盤®の開発に従事。

スマートからウェルビーイングへ

—石川さんはNTTドコモ(以下ドコモ)で「人間拡張基盤®」の研究開発に取り組まれていますが、ここに至るまでの経緯を教えてください。

石川博規(以下、石川):入社してから、ドコモの移動機(通信端末)の開発に携わっていまして、第2世代のmovaや、第3世代のFOMAの仕様などを書いていました。その後、スマートフォンの時代になると、どちらかというとハードウェアではなく、サービスを実現するアプリ開発をするようになりました。そして、ちょうど5Gがリリースされたばかりの2020年に、現在の6G-IOWN推進部に配属となりました。

通信技術は、コンセプト策定から商用化まで10年ほどのサイクルで変わっていきます。現在の部署は、10年先の未来、6G時代のサービスを先立って提供するということですね。ちなみに、私自身は無線の専門家ではありません。なので部内の私の役割は、ネットワークの開発と同時に、お客様の価値という視点からユースケースを提案していくことだと思っています。

—通信が生み出す価値を考える際に、石川さんはどのようなアプローチをとったのでしょうか?

石川:効果的なユースケース開拓のために、以下の3つの観点からブレークダウンして考えています。
1.お客様は何を望まれているの?(目的)
2. 6Gは何がすごいの?(強み)
3. 世の中の技術動向は?(仲間)

お客様の望まれているものについて考える際に、まず、通信の世代から振り返りました。第1世代(1G)では、音声通話ができるようになって、2GでWebが見られるようになりました。3Gで動画やゲームが利用できるようになり、4Gでは電子決済やIoTの話が出てきました。そして現在進行中の5Gでは、XRなどを用いた遠隔医療や遠隔運転といった事例が始まっています。このような発展を踏まえて6Gでは、どんなことが望まれるだろうかと考えていきました。

この課題は私だけで考えても仕方ないので、Z世代やα世代と呼ばれる人たち何十人かに集まってもらい、生まれたときから携帯電話がある世代がどのように使って、何が足りないと思っているかといった意見を聞きました。すると、私たちの世代とは異なる感覚を持っていて、常に携帯電話がある生活からどう抜け出すかといった、いわゆる「デジタル・デトックス」の必要性という話が多く集まりました。そこから、便利さの追求ではなく、人を幸せにするツールをめざす、「スマートからウェルビーイングへ」という方向性が生まれました(図1)。

—なるほど。望まれているものがデトックスの方向性というのは興味深いです。

石川:次に、6Gが持つそもそもの強みは何だろうという点について考えました。5Gより優れている点として、6Gには「超高速・大容量通信」「超カバレッジ拡張」「超低消費電力・低コスト化」「超低遅延」「超高信頼通信」「超多接続・センシング」といった特徴があります。この中で、「前よりもすごい」という話ではなく、「境界線を超える」という意味で、特に「低遅延」が面白いと思いました。ここでいう低遅延とは、E2E(エンドツーエンド)で1ms(ミリ秒)以下、つまり1000分の1秒という速度です。人間が脳で手を動かそうと意識してから実際に手を動かす信号が筋肉に届くまでの遅延は約20msと言われていますから、理論どおりであれば、6Gではネットワークの先にある自分の手を、まったく同じように扱えるのではないかということです。

そして、3つ目のポイントは世の中の技術動向です。技術動向の黎明期から安定期へのフェーズを示すガートナージャパンの「ハイプ・サイクル」では、2020年の段階で「5G」がまさに期待値のピーク期を迎えていました。そして、これから注目される黎明期のテクノロジーとして「ヒューマン・オーグメンテーション(人間拡張)」が挙げられていたのです。これからの6Gのユースケースを開拓していく上では、タイミング的にも人間拡張が、親和性が高いのではないかと思ったのです。

[図1] 通信の世代と役割

[図1] 通信の世代と役割

[図1] 通信技術が世代ごとに実現してきた機能とその役割。6Gでは、さらなる機能の積み上げよりも世の中への提供価値としてウェルビーイングの実現がポイントになるという。

「伝える」だけでなく、「伝わる」コミュニケーション

—石川さんの考える人間拡張とはどのようなものでしょうか?

石川:人間の能力の拡張と言っても、さまざまな方向性があります。東京大学の暦本純一先生の解説を参考にしたのですが、「身体能力」「存在」「認知能力」「知覚」という大きく4つの方向性があるだろうと考えました(図2)。

「身体能力の拡張」は義手や義足のように分かりやすいものが多く、「存在の拡張」については遠隔地に存在を伝えるテレイグジスタンスやテレプレゼンスの研究として行われてきました。そして、「認知能力」の拡張は技能習得のスピードを向上させるもので、「知覚」の拡張は触覚やさまざまな感覚の範囲や感度を拡張するものです。私はこの認知能力と知覚を組み合わせた人間拡張によって、本当の意味で気持ちが伝わるコミュニケーションを作っていくことが、6G時代にふさわしい新たな価値につながるのではないかと考えています。

[図2] 人間の能力の拡張

[図2] 人間の能力の拡張

[図2] 東京大学の暦本純一教授によると、人間の能力の拡張には、身体/存在/認知/知覚という、大きく4つの方向性があると考えられる。
ヒューマンオーグメンテーション社会連携講座、みずほ情報総研レポート(2020)の資料を元に本誌作成

—「本当の意味で気持ちが伝わるコミュニケーション」について、もう少し教えてください。

石川:人が何かを言いたいと思うのは、誰かに何かを伝えたい、相手にきちんと理解してもらいたいという気持ちが根底にあるのではないかと思うんです。しかし、それがうまく伝わらないことから、苦しみが生まれてしまう。これが、もし認知能力や知覚を拡張することによって、伝えたくても伝えきれなかった気持ちや身体の感覚、記憶や体験をつなぎ、お互いに分かり合える可能性が広がるならば、6Gというコミュニケーション技術の意義が見出せるのではないかと思うのです。

本来は、人間同士が分かり合って幸せになるためのコミュニケーション技術が、機能を追加することによって人間に対して悪い面をもたらしているのであれば、私たち自身もここでいったん原点回帰して「コミュニケーションとは何か」を見つめ直す必要があります。そして、6Gによって何を提供していけるのかを、パートナー企業と一緒に議論しながら、多様なユースケースを開発していきたいのです。

記憶や体験をつなげ「分かり合う」FEEL TECH ™ の未来像

—6G時代における「価値」とは何でしょう?

石川:ビジネスの領域になると、企業としての責任や価値が問われます。私は「それをすることによって人の行動がどう変わるのか」「社会にどのような価値をもたらすのか」については常に意識しています。「あったらいいな」レベルのものでは足りなくて、「それがないと本当に困るかどうか」を考えようと言っています。

例えば企業であれば、働いている人が幸せになっていかなければ今後は会社を維持できなくなるというイメージが私の中にあります。また、最近はマイノリティとマジョリティの対立が話題になることが多いですが、私自身はどちらの立場も大切だと思っています。いずれか一方の基準に合わせるのではなく、それぞれの立場で相手を理解するためのネットワークを作りたいという考えがあります。それらが結果的にみんなの利益やウェルビーイングにもつながっていけば、それこそが「価値」ではないかと思うのです。

そのためには、伝達の方法をリッチにしていくだけでは不十分です。例えば、私はいろいろなところでプレゼンや講演をする機会がありますが、オーディエンスが何に興味を持ち、何をどう話すかということを考えて練習します。しかし、これはどこまでいっても一方的なコミュニケーションでしかなく、伝えたいことが100%伝わることは本質的にありえません。この限界を踏まえ、人が「分かり合う」ためにはどうしていけばいいのかを考えていきたいです。

—「分かり合う」ことと身体感覚は、親和性が高そうです。

石川:それは私も実感しています。先日ある実験で、仮想空間内で構築されたものを触感付きで感じる体験をしたのですが、触ることができると「生きている」と感じられることが、私にとっては感動的でした。今はまだ確立できていませんが、この感覚を双方向で送ることができれば「分かり合う」ことにつながるかもしれないと感じました。

ここで今取り組んでいる「FEEL TECH™」について、少しお話をすると、「分かり合う」にしても人の皮膚の感覚はそれぞれ異なります。そこで、FEEL TECH™では、事前に測定したお互いの皮膚感覚の特性に合わせて、提示情報の「変換」を行ってから、その人に合わせて触感を提示します。このような原理を一般化すると、さまざまな人の動作や感覚を共有するために、人の感覚の特性をデータ化して、情報を変換して提示するためのプラットフォームが必要となります。私たちは、これを「人間拡張基盤®」と呼び、その開発を進めています(図3)。FEELTECH™については評判も良く、問い合わせも非常に多いです。

—これから先、どのような事例が登場しそうでしょうか?

石川:すでに大学病院では遠隔触診の実験が行われ、布や皮などの素材を扱う会社が遠隔地の工場とつなぐ話もあります。先日、コスメ雑誌で化粧品の塗り方やクレンジングの力の入れ方を美容家の人が遠隔で伝えるという実験が掲載されましたが、触覚が伝わることに対する反応は大きかったです。

私たちからの提案はどうしても、一方的になりがちなところがあります。一方で、実際に企業などに出向いて話を聞くと、アイデアはどんどん広がり、商品化にもつながりやすくなると感じます。ビジネスとしての展開をしながら、将来的には、触覚だけでなく脳波や動作の拡張なども組み合わせた、困っている人たちを助けられるFEEL TECH™を、世に出していければと考えています。

[図3] 人間拡張基盤®のマイルストーン

[図3] 人間拡張基盤®のマイルストーン

[図3] 人間拡張基盤®のマイルストーン。感覚の中でも触覚は早期の実現可能性が高く、他の共有機能と組み合わせた「FEEL TECH™」としての提案も広がる


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