「住みこなす」ための
人、住まい、地域の環境との関わり


人が住まいで培う
アイデンティティに着目した
住み替えプロジェクト

1966~1968年に建設された築50年以上になる福岡県大牟田市の市営歴木(くぬぎ)住宅(以下、歴木住宅)。老朽化に伴い、歴木住宅の住人は新たに建てられた市営高泉住宅(以下、高泉住宅)に住み替えることになりました。住み慣れた場所から新しい環境に移り住むことで生じるさまざまな課題に取り組んだプロジェクトについて、大牟田未来共創センターの山内 泰氏と、NTT社会情報研究所の林 瑞恵氏に話を伺いました。

山内 泰

山内 泰
Yutaka Yamauchi

一般社団法人大牟田未来共創センター(ポニポニ)理事。芸術工学博士。近代的な社会システムを原理的に捉えなおしながら、地域を拠点にシステム転換に資するプロジェクトに従事。

林 瑞恵

林 瑞恵
Mizue Hayashi

NTT社会情報研究所。地域づくりにおいて、人がウェルビーイングに暮らし続けることができる仕組みの創出と、デザイン方法論の確立に向けた研究活動に取り組む。

高齢者が抱える課題に取り組む大牟田市との関わり

—大牟田市との関わりについて聞かせてください。

林:NTTの研究所では、企業が地域の住民や自治体と共に社会課題に取り組む共創が必要だと考え、大牟田市との協働によるリビングラボに取り組んできました。私は、人がウェルビーイングに暮らせる仕組みの創出に向け、活動に参画しました。

当初は、地域の課題を把握すると共に、そこに企業がどう関わるべきかという、“初めの一歩”の検討から始まりました。また、大牟田市との協働の経緯として大きかったのは、大牟田市が「パーソンセンタード・ケア」という考えを持って福祉、特に認知症ケアに取り組んでいたことです。パーソンセンタード・ケアとは、すべての人々の存在に価値があることを認め、夫々の立場に立ってケアを行うものです。この考えに基づき、福祉に限らず地域の課題をどう解くか、一緒に考えてきました。

山内:その流れの中で、大牟田市、NTT西日本、林さんたちNTT、そしてポニポニで連携して行ったのが「わくわく人生サロン」です。これは、65歳以上の高齢者を対象としたプログラムで、リビングラボであると同時に「対話を通してそれぞれの潜在的な力(自由)を引き出していくこと」をめざす取り組みでもありました。そこで得られた最大の気づきは、安心できる場で対話を行うと、人は役割から外れ、“温まり”、他者や社会への関心に開かれて自然に動き出すということでした。

また、歴木住宅の建て替えに伴い、新しい別の市営住宅(高泉住宅)への住民の住み替えが行われていました。それを「どう進めるべきか」という課題へのアプローチとして、前述の対話プログラムの視点を持ち込めないかと考えました。そうして、歴木住宅に暮らす人々とのプロジェクトが始まりました。

歴木住宅の住み替えとリロケーションダメージ

—歴木住宅とはどのような場所なのでしょうか?

林:歴木住宅は1966 ~ 68年に大牟田市が建設した住宅で、約50世帯が居住していました(2023年3月時点)。建物は2階建てのアパートですが、市営住宅なので、各戸基本の間取りは同じです。それぞれ広めの庭があり、多くの家では、そこを利用して1階部分を1~2部屋程度拡張しています。また、区域内のさまざまな場所を耕して住民の方々が畑にしていました。

住居の増改築や畑作りなど、その人ごとにその土地や住まいと関わるきっかけが存在し、その“関わりしろ”が、いろいろな場に見られました。それは目に見えることにとどまらず、畑があることでおすそ分けが生まれたり、人と話すのが苦手な方が近隣の住人と関わりを持つきっかけになったり、いろいろな関わりが生まれていたのが特徴として挙げられると思います。

—住み慣れた場所から新しいところに移動するときに起こる問題として、どのようなものがあるのでしょうか?

山内:「リロケーションダメージ(Relocation Damage)」と呼ばれるものがあります。それは、例えば、高齢者が住み慣れた地域や家から、福祉施設や高齢者施設、あるいは自分の子どもが住んでいるところに引っ越すようなケースで、住民が移動と共に精神的身体的に弱ってしまうというものです。

調べてみると、リロケーションダメージがアイデンティティ・クライシスの問題でもあると指摘する論文が少なからずありました。つまり、住む場所は、本人の意識に関係なく、その人のアイデンティティと密接に関わっていて、住環境が変わることで、従来の自分のアイデンティティの変更を迫られるということです。そこからリロケーションダメージをアイデンティティの問題としても捉えたアプローチを模索しました。

歴木住宅に作られていた菜園は、住人たちの“関わりしろ”として機能していた。 歴木住宅に作られていた菜園は、住人たちの“関わりしろ”として機能していた。

AR的なあり方がリロケーションダメージを緩和

—そういった課題にどのように対応されたのでしょうか?

山内:その土地に住む「人との関わり」、さらに「人と住まいの関わり」、そして、畑などを含めた「人と地域の環境の関わり」を大事にするような取り組みができないかと考えました。例えば、人との関わりということでは、地域の福祉事業所や高等専門学校と連携し、住民が安心できる場で、住まいでのその人の思い出やずっと大切にしているモノなど、その人の場所にまつわるアイデンティティについて振り返る対話の場を持ちました。

林:嫁入り道具といった家具は、その人の人生を伴走してきた重要なものです。新しい高泉住宅は近代的な建物で増築もできず、持ち込めるものは限られてしまいます。当初、そのような家具は手放される予定でしたが、地元の有明高専の先生と生徒たちの協力で、サイズやデザインを考えながらリメイクする取り組みを行いました。形は変わりますが、そこに込められた思いは一緒に持って行けるのではないかと考えたのです。

また、モノとして持って行けない住まいやコミュニティについては、対話によって日々の生活の中にある思いを高泉住宅での暮らしにもつなげていける取り組みを行いました。長く暮らしてきた住人にとって、目の前の関わりの大切さに気づいていないことは往々にしてあります。住まいやコミュニティとの関わりを写真で残したり、モデルルームの中でこれからの暮らしについて、不安な気持ちなど自分の思いを吐露できる場を設けたりもしました。

—ここで言うモデルルームはどのようなものですか?

林:モデルルームは、歴木住宅の空いた部屋に、住み替え後の住まいである高泉住宅の室内空間の一部を再現したものです。歴木住宅は築50年以上の建物なので、住民は住み替えによって、トイレやお風呂、水場など、さまざまな生活環境が50年分未来に行くことになります。そこで、歴木の住まいの中に高泉住宅の新しい生活空間の一部を再現しました。

山内:プロジェクトのメンバーとは「機能ではなくて意味に注目しよう」と話していました。「新しい高泉住宅にはこういう機能があって、こういう風に役立ちます」といった暮らしの手段としての住まいの話ではなく、歴木住宅の暮らしはその人にとってどんな意味があったのか、そこに注目した対話を続けました。

その点でモデルルームを作る際にこだわったのは、歴木住宅の中に高泉住宅の環境を作ることでした。引越し先の高泉住宅にみんなで行って体験するのではなく、窓から歴木住宅の風景が見える中で高泉での新しい暮らしを擬似的に体験します。自分たちが意識しているか否かはともかく、歴木にいることに意味があり、その"意味"の文脈の中で高泉の新しい環境に触れる形をとったことが大きなポイントです。

—今はマンションの紹介でもVRを使いますが、それとは異なる考えでしょうか?

山内:VRというよりは、歴木の現実の中にARとして高泉が立ち上がる感覚です。AR的なあり方が、リロケーションダメージや本人が意識しないアイデンティティの変化、更新の際には重要になるのではないかという仮説を持って取り組みました。

モデルルームの利用には「高泉を住みこなす」というキーワードがありました。それは、歴木の暮らしが住みこなしているとしか言いようのないもので、そこにある種の豊かさを見たからです。その住みこなしが高泉でも同じように起きるにはどうすればよいのかという問いでもありました。

林:また、高泉住宅にはほかの住宅からの住み替えも実施されていましたが、私たちのプロジェクトより前に引っ越しをされた中に、住み替え前には大切に保管していた仕事道具を、引越しの際にすべて処分された方がいました。その方は結局、心身の不調をきたしてしまいました。自分にとっての住まいとの関わり、人生との関わりみたいなものを残したまま、新しい住まいに自分だけが来てしまった。そんな状況だったのではないかと考えました。

歴木住宅にはそれぞれ広めの庭があり、多くの住宅はそのスペースを利用して1〜2部屋拡張されている。

歴木住宅にはそれぞれ広めの庭があり、多くの住宅はそのスペースを利用して1〜2部屋拡張されている。

歴木住宅の住まいの中に、高泉住宅の新しい生活空間の一部を再現したモデルルーム。歴木住宅の風景が見える中で、新しい暮らしを擬似的に体験する。

歴木住宅の住まいの中に、高泉住宅の新しい生活空間の一部を再現したモデルルーム。歴木住宅の風景が見える中で、新しい暮らしを擬似的に体験する。

少しずつ住みこなしを始めた住人たち

—新しい住宅での住みこなしは可能なのでしょうか?

山内:高泉住宅は現代の一般的な団地です。原状回復義務があるため、基本的には改変の余地がほとんどありません。そのような条件の中で、引っ越した当初は元気がなくなる人もいましたが、本プロジェクトのメンバーの関わりもあって、徐々に新しい環境に関わる余地を見いだして行動し始める方々がいました。そうすると、周囲の人たちも感化され、自分の行動を始めるのです。例えば、畑としてまったく想定されていなかった場所を、本プロジェクトのメンバーや高専のみんながサポートしながら開墾し畑化しています。そこに人が集まり始めて、元気がなかった人も元気を取り戻し始めているのです。歴木とは違いますが、そこで自分なりの新しい暮らしを始めようとする状況が起きているのだと思います。

林:ほかにも、ある年配の女性が自宅の玄関先を飾り付けして、アレンジされた例があります。新しい住宅は、コンクリートの廊下に同じドアが並んでいるため、誰がどこに住んでいるのか分かりません。玄関周りをデコレーションすることで、その方の家だと分かるようになります。その方が住む階だけ、ほかの階には見られないような玄関飾りを置くお宅が増えて、住民の住みこなしが生まれていたということがありました。

—高泉でも住まいとの関わりの中で意味を見つけ始めたということでしょうか?

山内:そうなってきているのであればうれしいですね。自分たちなりの意味を見いだす営みを続けたいという気持ちが一番のポイントで、それは歴木の暮らしで培われたアイデンティティを大事にすることでもあると思います。

—今回のプロジェクトを通じての感想を聞かせてください。

山内:住み替えを余儀なくされる現実と向き合う地域の人々にとって、本プロジェクトにどんな意味があるのかが常に主題です。正解があるわけではなく、また現在の状態が必ずしも良いわけでもなく、今も試行錯誤の最中です。その上で、住まいとアイデンティティの関係やその重要性に気づかせてもらえたことに感謝しています。

この点で、スマートシティ、スマートホームのあり方に対しても、今回の歴木の研究は重要な視点を示していると思っています。スマートホームは、テクノロジーがある意味先回りする形で、その人個人にカスタマイズされた環境を作っていく面があります。個別最適という点でリロケーションダメージも軽減されるのかもしれない。でも、そのスマートなあり方は人間にとってどうなのか。決してスマートでない歴木住宅において「自分たちで暮らしをつくる」営みを通してアイデンティティが培われていたことには、看過できない問いがあります。この内発性、われわれの言葉で言えば「温まる」をどう生み出すかが、今日最も問われていることだからです。

林:人を大事にする地域・社会の実現に向けて、どういう研究をして何を生み出すことが良いのか、大牟田での協働の取り組みが始まる前は、モヤモヤしていたこともありました。大牟田で深められている人間観と、それを土台にして展開している「わくわく人生サロン」や市営住宅等の地域の方々との取り組みを通して、目の前の人を大事にすることを前提とした上で、最初は霧のようだったものが見えてきたことに感謝しています。


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