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ウェルビーイングのISO標準促進のためのフレームワーク

個人と集団の両方のウェルビーイングを促進するプロセスとは?

2024年11月、ウェルビーイングを促進するためのプロセスに関するISO標準(ISO25554)が策定されました。国際標準化機構(ISO:International Organization for Standardization)の⾼齢社会技術委員会ウェルビーイング作業部会の議長を務め、標準の策定を主導した一人である産業総合研究所の佐藤 洋さんに話を聞きました。
佐藤 洋

佐藤 洋
Hiroshi Sato

国⽴研究開発法⼈ 産業技術総合研究所 研究戦略企画部 次長/連携推進企画室長、同研究所 情報・人間工学領域 副領域長。東北大学大学院工学研究科助手、同講師を経てカナダ国立研究機構客員研究員。2004年産総研入所、2023年より現職。専門は建築環境工学、人間工学、福祉工学、環境音響学。医療機器IoT化プロジェクトや高齢社会対応技術の国際標準化などに従事。

音響と高齢社会の研究からウェルビーイングへ

—佐藤さんの産業技術総合研究所(産総研)での仕事について教えてください。

佐藤 洋(以下、佐藤):産総研ではいくつかの肩書きがありますが、研究戦略企画部として、産総研全体の研究戦略を立案・推進したり、産総研の研究成果を活用して社会課題の解決をめざすAIST Solutionsという会社との橋渡しをしています。同時に、産総研に7つある研究領域の一つ、AI、ロボット、人間工学などを扱う情報・人間工学領域の副領域長として、組織のマネジメントをしています。

—どのような経緯でISOの標準化に関わるようになったのでしょうか?

佐藤:私の出自は建築で、特に、熱・音・光・空気の設計を扱う建築環境工学という分野が専門です。東北大学工学部建築学科に在籍しながら電気通信研究所の音響の研究室にもお世話になり、大学の卒業研究では、高齢者がどのくらい言葉を聞き取れているのか、という視点から騒音を減らし、響きを減らすための設計基準に関する研究を行いました。ほかにも、建築物の騒音制御の研究や、コンサートホール、スタジアムといった施設の音響コンサルティングなども行いました。

そのまま大学にしばらく残ったあと、カナダのNRC(国立研究機構)に留学し、主に小学校の教室音響の研究をしました。そのときのスーパーバイザーであるジョン・ブラッドリー博士がISOで建築音響の計測方法の標準を審議していたことや、IEC[※1]標準を使って研究をしていたこと、産総研でも関連する標準化が推進されつつあったことなどが重なり、帰国後の2004年、産総研に入所して本格的に標準化の分野に携わるようになりました。

—ウェルビーイングの標準化活動は、どのようにして始まったのか、経緯を教えてください。

佐藤:2011年に経済産業省の医療福祉機器産業室に出向して、医療機器の研究開発成果を事業化する業務に携わるようになりましたが、そのあとにテーマとして健康医療が加わり、ある講演会で、山下積德先生という方の話を聞く機会がありました。山下先生はもともと救急救命医だったのですが、ご自身の病院の中に健康ジムを設けて、患者の健康増進に効果を上げていました。患者が頭で理解して行動し、効果を感じて毎日取り組んで、継続的にやって元気になるという様子を、そこで目の当たりにしました。今思えば、それが私の中のウェルビーイングの原点です。

そのうちに経済産業省から「健康経営」を国際標準化したいという声があり、2018年に活動が開始されたTC314(⾼齢社会技術委員会)で、高齢社会の就労や認知症の問題、介護者の社会参加などについて話し合うようになりました(図1)。2021年には、日本からの提案で、ウェルビーイングについての議論が作業部会で始まりました。そのとき、私はISO/TC 159という人間工学分野からリエゾンとして、各国の利害を超えて作業部会に参加することが可能で、部会に熱心に参加しているうちにこのワーキンググループの議長を依頼されました。

図1 ISO/TC 314 Ageing Societiesの構造

図1 ISO/TC 314 Ageing Societiesの構造。高齢社会分野の標準化をめざして2017年12月に設立された「ISO/TC 314」は、参加メンバーが26カ国、オブザーバーが17カ国となっている(2024年10月現在)。直下に「WG 4 Wellbeing」があり、日本提案で「ISO/WD 25554」が開発され、発行された。
https://www.iso.org/standard/82399.html

ウェルビーイングの測定ではなくプロセスの標準化をめざす

—ウェルビーイングの標準では、企業や自治体がウェルビーイングであることが認定されるのですか?

佐藤:健康経営の場合は認定のためのチェックリストがあり、労働安全衛生などの視点から申請書類が審査され、審査に通れば「健康経営優良法人」に認定されます。一方でウェルビーイングの場合は、それが労働安全・衛生なのか、あるいは医療、経済、政治なのか、国や文化によって重視されるポイントが異なります。そのため、この標準では、「ウェルビーイングはこうあるべきだ」と定めるのではなく、ウェルビーイングの定義や、そのチェックリストはそれぞれに決めてもらい、その実現プロセスに関して国際的な合意を形成したかたちになっています。

実は、ウェルビーイング作業部会の初期は、各国が自国のウェルビーイングについて語り合う場となり、それは楽しい時間ではあったのですが、なかなか会が進みませんでした。それもあって、ウェルビーイング自体を定義することはせず、そのプロセスを標準化しようということにしたのです。

—そのようにプロセスを標準化するというアプローチは、よくあるものなのでしょうか?

佐藤:プロセス標準の考え方は、人間工学の分野にもあります。例えば、人体の寸法に合わせて個別の数値を決めてしまうと、国や人種によって平均的な人体の寸法は異なるのでフィットしなくなります。その場合は、標準的な数値を求めるプロセスだけを決めて、それぞれがその数値からデザインに落とし込んで製品を作るという手法が採用されています。

今回の標準はプロセス標準ということでフレームワークを決めましたが、もちろん、それも完全なものだとは思っていません。今後、それがワークするのかを事例に当てはめて確認していこうと考えています。もし回っていない事例があったら、フレームワーク自体を改良することも視野に入れます。そうするとフレームワークとユースケースの両方が共有、更新されるので、本当にみんなが使いたがるものになるではないかと思います。

ウェルビーイングの標準を理解するポイント

—この標準は、どのように読み解けばよいのでしょうか?

佐藤:文書の目次を見ていくとよいでしょう。前書き(Foreword)、序文(Introduction)から始まり、適用範囲(Scope)、引用規格(Nor mative references)、用語と定義(Terms and definitions)と続き、ウェルビーイングを実現するフレームワーク(Framework for realizing wellbeing concept)があります。これが標準の中心です。そして、フレームワークを回すために集団に必要な責任(Responsibilities of a community)と続き、最後に付属書(Annex)と参考文献(Bibliography)があります。

序文の冒頭には「このドキュメントは、コミュニティにおけるウェルビーイング促進のフレームワークを規定するためのガイドラインである。ここでは、コミュニティには独自のウェルビーイングの概念があることを前提としている。ウェルビーイングとは何かという規範を与えることを目的とするものではなく、それぞれのウェルビーイングの概念に沿ったかたちでウェルビーイングを実現するためのフレームワークを与えるものだ」という意味の文章が書かれています。

また、フレームワークが書かれている4章は7つの節で構成され、それらが作業をする順番に対応しています。この標準では、個人と集団のウェルビーイングという2つの観点があり、2節で集団全体と集団の各メンバーについて、それぞれウェルビーイングのコンセプトと生み出される結果を決めます。3節ではその結果を評価する指標と測定項目を決定します。4節ではウェルビーイング促進に向けたサービスのデザイン、5節では集団全体と各メンバーの測定データを得て指標の値を計算し、6節で結果から期待される値との差分を評価します。7節では評価に基づいてサービスや指標をもう一度見直します。5章では、ここまで述べたウェルビーイングのコンセプトや生み出される結果を決める責任や、フレームワークを回していく責任を負うリーダーの役割について書かれています。「健康経営」は、企業でのウェルビーイング促進の政策事例として、付属書として記載されています。

—フレームワークの図について解説してください。

佐藤:この図は、フレームワークの全体像ですが、4章のそれぞれの行動とひも付けられています(図2)。企業がISOに沿って自社の事例を考えるときには、これらに関する質問に回答することになります。例えば、4.2では「コンセプトと期待している結果を、個人と集団の両方について考えているか?」になります。4.3.1と4.3.2では「個人と集団全体の期待される結果を指標化しているか?」、4.3.3と4.3.4では「それらを測定項目と対応付けているか?」。4.4では「サービスは、誰にどのようなものを提供するのか明らかか?」、4.5では「サービスの効果の測定データを、指標として数値化しているか?」、4.6では「数値を期待した結果と比較しているか?」となります。最後に4.7では、うまくいっていなかったら、「サービスや指標を調整するなど、何らかの対策を講じる仕組みがあるか?」ということになります。仕組みは、デジタル化されたものでも、人が集まって話し合う定期的な委員会でも構いません。

—チェックリストができそうですね。

佐藤:そうですね。サービスを設計するときには、図の右端の目標を決めてから目標に合った評価値を定め、評価値の測定方法を決めて、それをデザインパラメーターとして、左端のサービスを設計するという順番になります。しかし、サービスありきで左側から始めてしまうと、結局、何のためにやっているか分からなくなってしまいます。そのようなことがないように、プロセスを標準化しておくということです。

例えば、社内で健康増進のためのサービスとして「お散歩イベント」を行い、参加者の満足度をアンケートで取ったとします。アンケートによって、満足度は数値として把握できますが、仮に参加者1000人中300人が満足していたとして、その数が何を意味するのか。また、翌年に同じイベントを実施して満足者が250人に減少した場合、その変化をどのように評価するのか。これらについて何を期待していたのか右端から議論する必要があります。

もちろん、プロセスが楽しいことはよいことではあるのですが、それだけではなく、「こういうコミュニティをめざす」「私はこうなりたい」と期待する結果を設定し、プロセスを回して、達成するまで継続していくことが大事です。

>図2 ISO 25554の付属書(Annex D)に記述されたウェルビーイング促進のためのフレームワークを簡略化したもの。(ISO文書から編集部作成)

図2 ISO 25554の付属書(Annex D)に記述されたウェルビーイング促進のためのフレームワークを簡略化したもの。(ISO文書から編集部作成)

ウェルビーイング標準の今後の展開

—社会のデジタル化が進む中で、今後もリーダーは必要になるでしょうか?

佐藤:この標準では、リーダーがそれぞれのアウトカムを決めて自己宣言し、ウェルビーイング向上に向けて持続的に取り組む責任を負います。リーダーの存在を前提にしていますが、リーダーが不在でも自然に回る仕組みがウェルビーイングの本質ではないか、という議論もあります。そのような世界観も将来的にはあるかもしれません。

ただし、フレームワークがデジタルで自動的に運用されるようになると、当初の理念が失われて数字のみが一人歩きするリスクもあります。その際には、メンバーが民主的に意見を述べる機会を設けることも必要になるでしょう。実際、5章には、リーダーはメンバーの意見を聞く姿勢を持つことと明記されています。

—標準化の今後の動きはどのようになりますか?

佐藤:この標準は、一人ひとりと集団の両方に目を向け、志を持ってウェルビーイングに取り組むためのフレームワークです。今後3年間かけて、ウェルビーイングを推進する企業やコミュニティを集め、フレームワークを活用した事例を「ISO TR(テクニカルレポート) 25554-2」としてまとめる予定です。すでに実践が始まっている事例もありますが、それぞれの業界で考えるウェルビーイングのユースケースが集まれば、具体例を通してISO標準の実用性を検証し、改善の可能性を探ることができるでしょう。


[※1]国際電気標準会議(International Electrotechnical Commission)
参考:ISO 25554「Ageing societies -Guidelines for promoting wellbeing in communities

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