触感コンテンツ+ウェルビーイング専門誌 ふるえ Vol.65
Sustainable Well-being
社会の営みの見えない価値を拓く
サービスが生み出すウェルビーイング、人々が暮らしている地域の記憶や日常の風景。そこには経済指標だけでは表せない価値があります。そのような普段は見えていない価値をウェルビーイング社会へとつなげる活動を紹介します。
共創する価値とキャッシュポイントをずらす
経済性と社会性を両立させるウェルビーイング事業の発想
企業におけるウェルビーイングへの取り組みが注目されています。さまざまな立場からウェルビーイング事業に関わる3人の方々を招いて、話を伺いました。共通するのは、従来の枠組みを超えてウェルビーイング事業を共創する活動を行っている点。経済性と社会性を両立させるビジネスの可能性について語っていただきました。
藤本宏樹(住友生命保険)×石川洋人(Arc & Beyond)×片山朋子(パナソニック ホールディングス)
聞き手:渡邊淳司(本誌編集長)
藤本 宏樹
Hiroki Fujimoto
住友生命保険相互会社 常務執行役員。1988年住友生命入社。通産省出向などを経て2012年ブランドコミュニケーション部長。2019年新規ビジネス企画部を立ち上げ、2020年CVCファンド設立。2024年、東京大学・京都大学・東京科学大学・有志企業などと一般社団法人WE ATを設立、共同代表理事。
石川 洋人
Hiroto Ishikawa
一般社団法人 Arc & Beyond 代表理事。ソニーグループ株式会社 事業開発プラットフォーム事業開発部門CSV事業室 室長。米JPモルガンを経てソニーに入社後、海外事業を担当。2015年に米国でTakeoff Pointを設立、複数の社会課題解決事業を立ち上げる。2024年、Arc & Beyondを設立。
片山 朋子
Tomoko Katayama
パナソニック ホールディングス株式会社 コーポレートR&D戦略室 DX・CPS技術企画部。入社後、AV機器のソフトウェア、物流システムの開発などに携わる。経営企画部門でグループ全体の未来戦略策定に従事し、2021年10月から技術部門の戦略企画を担当。AI・デジタル領域の技術戦略および新規事業戦略づくりに従事。
企業のウェルビーイング事業
それぞれのアプローチ
渡邊淳司(以下、渡邊):まずは、現在の活動についてお聞かせください。
藤本宏樹(以下、藤本):現在、住友生命で新規事業とブランドコミュニケーションという2つの部門を担当しています。特に新規事業は「ウェルビーイング・アズ・ア・サービス(以下、WaaS)」をテーマに、人々のウェルビーイングを支えるサービスをつくる仕事をしています。もともと保険は、経済的リスクに備えるものでしたが、弊社の主力事業になっている「Vitality」という健康増進型の保険は、その対象を身体的なウェルビーイングにも拡張しました。現在は、それを社会的なつながりやキャリアのウェルビーイングにも広げていこうとしています。ただ、そのような事業をやっていくなかで、ウェルビーイングはまだ「世の中ごと」になっていないと感じていて、志を同じくする大学や企業と一緒に「WE AT(Well-being Economy Accelerator Tokyo)」[*1]という団体を立ち上げて、ウェルビーイングの産業やビジネスを日本から生み出し、世界に展開していこうとしています。
石川洋人(以下、石川):私はアメリカで、ソニーの商品やサービス、技術を活用して社会課題を解決する事業をいくつか立ち上げてきました。しかし、営利企業の中で社会課題解決を事業として成立させることはなかなか難しく、いくつかのジレンマを感じていました。社会的なニーズがあっても十分な利益が見込めなければ事業化できないことや、利益創出と社会貢献を両立できる仕組みが確立されていないこと。加えて、このような事業を1社で実現するには限界があることなどです。
そこで私は、企業の枠を超えて集まれる「出島」のような場として、2024年に一般社団法人Arc & Beyond[*2]を設立し、ソニーから出向するかたちで代表を務めています。ソニーには、営利を目的としたさまざまな事業部があり、一方で企業の社会的責任として行う社会貢献に携わる部門もありますが、Arc & Beyondは、ちょうどそれらの中間的な位置付けです。企業として「お金を生むか、使うのか」で大きく線引きされるのであれば、その中間に、誰かに依存せずとも自分たちの力で持続可能な状態をつくるため、別法人を設立したというわけです。
片山朋子(以下、片山):私はパナソニック ホールディングスでR&D部門の戦略担当をしています。パナソニックは、2022年に事業会社制に移行したことを契機に、ホールディングス技術部門の役割をあらためて見つめ直し、「技術未来ビジョン」[*3]を策定しました。従来は技術を起点にして未来を描くことが多かったのに対し、今回は「どのような社会を実現したいのか」という北極星を定め、その未来像から必要な技術や研究開発の方向性を考えました。
われわれには、創業者、松下幸之助の「物心一如の繁栄(物と心が共に豊かな理想の社会)」という、まさにウェルビーイングをめざす理念がありました。そこからアクションにつながる社会像として「一人ひとりの選択が自然に思いやりへとつながる社会」をビジョンとして設定しました。ここでは、「エネルギー・資源」「生きがい」「思いやり」の3つの「めぐる」を目標とし、それぞれの分野で取り組んでいます。
企業として取り組む
ウェルビーイング事業の課題
渡邊:企業内でウェルビーイング事業を推進するには、経済的価値と社会的価値の両立が課題となると考えられますが、そういった点はいかがでしょうか?
片山:現在のところ、特定のマーケットがないことは、ウェルビーイング事業にとっての大きな課題だと思っています。それに対して、長期的に活動できるホールディングスならではの利点を生かして、市場づくりから長期的視点での価値創出をしていこうとしています。
また、もう一つの視点として「コングロマリット企業のR&D部門はどうあるべきか?」ということがあります。技術が事業に直線的につながる時代は分かりやすかったのですが、現在は事業が多角化し、技術の事業への貢献が示しづらくなっています。そこで取り入れているのが、将来の財務価値を現在の価値に換算するNPV(Net Present Value:正味現在価値)や、すぐにPLに載ることはないけれど事業に必要なステップ間のKPI、といった指標です。
そして、「社会的インパクト」をどうつくるのか、なぜ実現できるのかという、より大きな見取り図をそれぞれのプロジェクトでつくるようにしています。ここで得られたものが次のプロジェクトでも活用できるといった具合に、プロジェクト間の関係性も見られるようにし始めています。これは、私たちの取り組みがブラックボックス化し、理解されにくいという反省から来ています。
石川:Arc & Beyondには3つの特徴があります。1つ目は、社会にどれだけ価値を生み出したかを重視し、社会課題の解決や人々のウェルビーイングへの貢献といった社会的インパクトを評価する仕組みを取り入れています。2つ目は、ファンドを活用して事業を長期的に支える仕組みを持っていることです。社会課題解決に関わる事業は、その自立までに時間がかかります。そこで、ソニーからの30億円の預け金を運用し、その運用益を事業の立ち上げや成長を支える資金に充てています。私たちはこれを「ペイシェント・マネー」と呼んでいます。3つ目は、非営利型一般社団法人という形態を採用していることです。一般的に、株式会社では出資額に応じて意思決定への影響力が決まります。一方、このかたちであればお金を出したかどうかに関わらず、多様な主体が対等な立場で事業に参画できます。このように、社会的価値を重視しながら、多様な人々が協力して長期的に社会課題の解決に取り組める仕組みになっています。
藤本:お話を聞いていると、私たちのやっていることは、やはり評価が難しいという共通点があるように思います。パナソニック ホールディングスさんは、長期的にどのように事業につながるか、財務諸表がどのようにプラスになるかを考えている。一方で、Arc & Beyondさんは、経済性が難しいところでも、社会的にやるべき価値があるかという、インパクト評価を中心に据えている。
住友生命はそれらの折衷で、ビジネスとして成立させた上で、長期的なところはなかなか見えづらいから、社会的インパクトを可視化し、経済性と社会性の2つの視点を掛け合わせて評価しようとしています。どれが正解ということはありませんが、Arc & Beyondさんの活動も経済合理性の外にあるとはいえ、ソニーという企業がそのような活動にお金を出すということは、長い目で見るとソニーのブランドをより強くしているところがあると思います。
事業者としてウェルビーイングのビジネスをつくっていこうとすると、「経済的価値だけでなく、社会的価値をどう創造していくのか」という課題があるし、逆に経営視点からすれば「ウェルビーイング事業に会社としてお金を投資することに、どういう価値があるのか」という疑問が出てくる。企業としてどう評価するべきか、その辺りは共通の悩みですね。
あらゆるビジネスを
WXでアップデートする
渡邊:ソニーさんにもR&D部門があると思いますが、企業のリソースをどのように生かして社会的価値を創出していけるのでしょうか? また、住友生命さんは、R&D部門を持ちませんが、そのような場合は、どのように取り組みを進めてきたのでしょうか?
石川:ソニーをはじめとする大企業は、人、物、金、情報といったリソースをたくさん持っています。しかし、その中には、用途が決まらない技術や眠っている特許など、十分に活用されていないものも少なくありません。私がやっているのは、そうした技術や特許を大企業のルールに縛られずに活用していこうというものです。例えば、アメリカでは、社会的に孤立した若者たちが就学や生活の支援を受けられるプラットフォームを行政と一緒につくっていましたが、それはもともとソニーのブロックチェーン技術を活用したものでした。特にスタートアップの世界ではそうですが、売る側が想定した通りにものが売れることはまれだと思うんです。たぶん、企業のR&Dもそうで、現状マネタイズされていない技術でも、価値を生む場所へうまくつなげることを狙っています。
藤本:私たちは保険会社なので、いわゆるR&Dも、社内のシーズもありません。新規事業の立ち上げはゼロから価値を生み出す錬金術のような仕事で、必然的に外部の力を借りるオープンイノベーションが基本となります。冒頭でお話ししたVitalityも同様で、私たちが提供できる価値は保険とデータだけです。そこにさまざまな企業のサービスを組み合わせて一つの価値体系をつくり上げてきました。そして、私たちはそこに可能性を感じています。
「ウェルビーイング・トランスフォーメーション(以下、WX)」という言葉があります。私はそれを「すべての企業が、生活者のウェルビーイングの視点でビジネスをアップデートできること」と定義しています。例えば、病院というビジネスは、今までは患者さんだけが病院にとっての顧客だと思われており、医療の質や院内の過ごしやすさがビジネスの対象でした。しかし、生活者のウェルビーイングの視点で考えると、病気になる前の予防、予後の再発防止も対象になります。さらには、本人だけでなく、その家族や地域との関わりもあります。私たちの保険も、生老病死、命に関わるリスクをカバーすることだと狭く捉えるのではなく、生活者のウェルビーイングで考えたら、ビジネスをアップデートする余地がまだまだあると。そして、ウェルビーイングのバリューは、さまざまな企業のサービスを組み合わせることで生まれるはずなのです。
渡邊:WXを実現するためには、さまざまなステークホルダーがうまく共創し、一つの価値体系をつくるというのは印象的なお話でした。最後に、こうしたウェルビーイングの価値共創をどう推進し、持続させていけるのか、お考えを聞かせてください。
石川:いくつかの企業が集まって共創しようとすると、「それぞれにどんなメリットがあるのか」という議論になりがちです。しかし実際には、個別の利益を調整するよりも、「新しい島をみんなでつくり、そこに集まろう」という考え方の方がうまくいくことが多いように感じています。いわゆるジョイントベンチャーなども、その発想で生まれることが少なくありません。また、ここまでインパクト評価の重要性の話をしてきましたが、それ以上に大切なのは、その事業に関わる人たちがどれだけワクワクできるかだと思っています。人が心から熱中できる事業ほど、多くの人を巻き込み、結果として大きな社会的インパクトにつながるのではないでしょうか。
藤本:私は、経済性と社会性は対立するものではなく、それらを両立させることが大切だと思っています。企業はそれぞれ利益を生みながら、自分たちのめざすことを実現していく方が健全です。そのためには、生活者のウェルビーイングにつながるバリューポイントはみんなで共創し、一方で収益を生み出すキャッシュポイントは各社がそれぞれ別で持つ、という関係が理想的だと考えています(図)。
片山:企業の中でやる限り、つくったものが事業というかたちで社会に出ることが必要になってきます。バリューポイントとキャッシュポイントを重ねずにずらすというのは、やりたいと思ってやっていることが、自己犠牲ではなく、結果的に誰かの役に立つという発想。まさに、「一人ひとりの選択が自然に思いやりへとつながる社会」だなと。そんなふうな世界があってよいはずです。
図 キャッシュポイントとバリューポイントの設定イメージ。複数の組織でウェルビーイングにつながるバリューポイントを共創し、それぞれの利益を生み出すキャッシュポイントをずらすことで、経済性と社会性の両立につながるという考え。
[*1]WE AT:アカデミア、行政、企業、投資家がグローバルで連携して社会課題解決型スタートアップを支援する新しいイノベーションエコシステム。
https://we-at.tokyo/
[*2]Arc & Beyond:多様な企業・パートナーとともに、教育・福祉・スポーツ・エンターテインメントなどの領域で社会課題解決に向けた事業の共創に取り組んでいる非営利型一般社団法人。
https://arc-beyond.org/
[*3]技術未来ビジョン:パナソニック ホールディングス(PHD)技術部門における、2040年の未来社会のありたい姿とその実現に向けた研究開発の方向性として定められた。
https://tech.panasonic.com/jp/phd/technology-future-vision/
発行日 2026年7月1日
発 行 NTT株式会社
編集長 渡邊淳司(NTT上席特別研究員)
編 集 矢野裕彦(TEXTEDIT)
デザイン 楯まさみ(Side)

