何かに“ひかれている”人が無意識に動かす眼のヒミツ
空間のある一点を見つめているつもりでも、私たちの眼は1秒間に数回、無意識に動いています。その動きは、私たちの注意や好き嫌いなど、心の状態を反映していると言われています。そこにはどんなメカニズムがあり、どんな応用が考えられるのでしょうか。ボディ・マインドリーディングの研究をされている米家惇さんにお聞きしました。
米家 惇

答えてくれる人
米家 惇 研究員
コミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部
専門:生体信号処理の研究

Q.米家さんの研究「ボディ・マインドリーディング」について教えてください。

A. 「ボディ・マインドリーディング」は、人の認知や心の状態を、無意識に生じる体の反応から推定する研究です。従来の、脳波から感情を推定したり、機器を操作するブレイン・マシン・インターフェースの研究は、脳計測の精度や安定性、コストなどの問題で、日常生活で用いる技術としては普及しづらいという難点がありました。そこで、私の所属する研究グループでは、眼の動きや心拍・発汗のような、日常生活でも無理なく測定できるものを対象として、心の状態を推定することを目指した研究を行っています。特に私が着目しているのは、マイクロサッカードと呼ばれる眼球運動です。
  マイクロサッカードとは、人がある一点を見ているとき、眼を動かさないでいるつもりでも、無意識のうちに生じる、非常に小さな跳躍性の眼球運動です。動きの大きさは視野角で言うと1°(腕を前に伸ばしたときの指の幅、60cm先での約1cm)くらい、時間は10ms(100分の1秒)程度です。これが、注意などの心理状態と密接な関係があると言われています。例えば、何かが光ったり、聞こえたりして、それに注意が引かれると、その直後数百msにわたって、マイクロサッカードが起こりづらくなるという現象が基礎研究の分野で報告されています。私たちの研究グループでは、マイクロサッカードの「波形」自体も注意に応じて変化するという性質を発見しました。さらに、マイクロサッカードの波形を計測して、機械学習のアルゴリズムを適用することで、注意の状態、例えば、注意の空間的な範囲を推定することを可能としました。ここで言う、注意の範囲というのは、ある一点を見ている時でも、見ている対象に注意をフォーカスしているのか、それとも周辺を含めてぼやっと見ているのかという違いのことです。この研究成果は、2017年1月のR&Dフォーラムにおいて、脳科学とICTを駆使してスポーツの上達支援法を開発する研究「スポーツ脳科学プロジェクト」の中で発表しました。      

マイクロサッカード時の眼の動き。


Q.注意の範囲は、眼球運動からどうやって予測するのでしょうか?

A. まず、視覚的注意の範囲を心理実験によって決定します。実験では、画面に一瞬、注意を引く丸い円を提示してから、その直後に別の点を出して、その点の動きについて答えてもらいます。丸い円は注意の広がる範囲を表していると考えられ、円の半径を変えたときにマイクロサッカードがどのように変化するかを調べて、注意の範囲とマイクロサッカードの関係をモデル化します。このとき、私の研究では、これまで調べられてきたマイクロサッカードの発生頻度や振幅だけでなく、どれくらい動いた後に戻りがあるのか、その振幅との比率(減衰率)といった、波形の詳細を表すさまざまな情報を利用することで、注意の空間的範囲を精度よく推定することを可能にしました。
  スポーツ脳科学プロジェクトでは、これを野球のパフォーマンス向上に役立てようとしています。実際に行った実験では、東京大学の野球部の方に、バッター目線でピッチャーが球を投げる様子を見てもらい、そのときの眼球運動を計測して、先ほどのモデルに基づいて注意範囲が広いか、狭いかを推定しました。そして、同じ人たちに「ピッチャーの投げた球が、カーブかストレートか」という質問をして、その正答率を計算しました。その結果、注意範囲が広いと予測されるときほど、球種の識別精度が高いということがわかりました。つまり、マイクロサッカードを見れば、打者の注意の範囲が予測できて、そこから、球種判別の良しあしが推定できるということです。
  今後は眼の動きから注意範囲を推定するだけでなく、その状態を打者にフィードバックしてあげて、注意の範囲が広がるよう訓練し、バッティングのパフォーマンスが向上するところまでやっていきたいと思っています。    

マイクロサッカードを計測し、注意の範囲をフィードバックすることで、バッターのパフォーマンスを向上させる可能性がある。


Q.眼球運動から“惹かれる”ことも予測できるのでしょうか?

A. 今、ボディ・マインドリーディングでは、注意範囲の推定に加えて、人の“ 好み”の推定にも取り組んでいます。例えば、顔の画像を2枚並べて、それを見た時の眼球の動きで、どちらの顔がその人の好みなのかを当てることができます。ひと目惚れではないですが、特に、パッと注意を引きつけられるタイプの好みの判定には、相性がいいのではないかと思います。顔以外にも、音楽のような、音に対する好みもある程度わかります。例えば、協和音と不協和音に対する好みと眼球運動の関係に関する実験を行っています。一般的に、協和音は心地よく、不協和音は不快に感じられるといわれますが、個人によって不協和音が好きだという人もいるので、この実験では、被験者に協和性(協和音か不協和音か)と、好き嫌いの2つの質問をしました。実験からわかったこととして、眼の動きから音の協和性のような物理的性質を推定する精度よりも、その人の音に対する好みを当てる精度のほうが高いという結果になりました。つまり、眼球運動は、何を聞いたかという対象の物理的な性質というより、むしろ人の内観のようなものを示しているのではないかと考えられます。
  人間の眼は、中心窩といって中心部ほど視力がよく、周辺に行くほど視力はどんどん下がっていきます。ただ、マイクロサッカードの大きさは、1° 程度と小さいので、周辺の見えづらいものを見るための眼球運動ではありません。そういった点から見れば、意味のない眼の動きとも言えます。しかし、それに着目することで、人間の心理状態が読み取れるかもしれないというのは、とても面白いことだと思っています。    

並べた顔の画像を見たときの眼の動きにより、その人がどちらに注意を引きつけられているかを判別することが可能。



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