文化と生活に根ざすウェルビーイング実現のヒント
ウェルビーイングとは、身体的に、精神的に、社会的に良好な状態であることを指します。ただしその尺度は、文化的な背景や暮らしている環境の影響を受け、日本と外国、農村と都市などで異なります。では、どのような違いが生じるのか、比較文化研究の視点からウェルビーイングや幸福感を研究している、京都大学こころの未来研究センター内田由紀子准教授に話を伺いました。
内田由紀子

内田由紀子
京都大学こころの未来研究センター


京都大学教育学部卒業、大学院人間・環境学研究科博士課程修了。専門は社会心理学・文化心理学で、国際比較研究を実施している。2010-2013年まで内閣府幸福度に関する研究会委員を務める。

自分の価値は与えられたギフト?それとも縁から生まれるもの?

—文化によってウェルビーイングのあり方は異なるのでしょうか?

内田:日米の比較研究はたくさんあって、例えば、アメリカのほうが個人のウェルビーイングを大事にする傾向があります。自由、平等の精神が中心にあって、個人のウェルビーイング実現のサポートをするのが社会であると考えるのです。もうひとつ特徴的なことは、自己価値や自尊心を重んじるということです。自己価値は生まれるときに与えられたギフトだという考え方なので、個人に備わっているものを磨いていくというモデルになるわけです。そうすると社会もスペシャリスト社会になるし、いろいろと満遍なくできることより、何かで尖って輝くことが賞賛される文化になります。
  一方、日本においては、自尊心が高いことより、他者と協調している状態のほうが幸せをもたらすようです。そして、スペシャリストよりはジェネラリスト。会社の中でいろいろ経験した人がトップに立つことがありますよね。全体を見渡すためには自分が見えなかった部分にも目を向けて努力しなければならないので、自己価値よりは周囲を見渡して調和を保つことや、さまざまな状況に適応できることが大事というモデルになります。日米ではウェルビーイングのための燃料が違うんです。アメリカでは燃料タンクは全部自分の中にあるから、自分でそれを見つけて磨いていかなければなりません。でも、日本だと自分の中だけでなく外にもあって、「誰かに支えられる」とか「縁に助けられる」といったことも、ウェルビーイングにつながります。

日米のウェルビーイングに対する傾向の違い。

—職業や生活環境でも異なりますか?

内田:ウェルビーイングは職業によってもおそらく異なります。日本の農村は水田農業が中心なので、例えば、用水路を整備するとか雑草を取るとか、大規模な協力が必要になります。なので、お祭りや自治会活動も含め、地域ぐるみの行事の参加率は高くなります。また、農業でできるものにはいろいろな人の手が入っているため、個人の力以外の全体にも注意が向き、みんなで活動して分配することのほうが大事になります。そして、種を撒いてから収穫までは時間がかかります。つまり、報酬がすぐには来ないことに対して、日常努力を積み重ねる必要があって、秋に収穫ができるという未来に対して意味を見つけることでそれに耐えるというわけですね。一方で、漁村は漁師さんが海に出ている間は他の人との接触は少なく、小さな船で出られる方も多いので、自己責任のような部分が大きくなります。それに、それぞれが何匹釣ったといった成果が見えやすい。そういう意味でいうと、漁村だと、さっきのアメリカのモデルのように自尊心が大事なんですよね。
  また、都市と地方だと、都市には消費というものがあって、さまざまなことにお金が使えるということは、それはそれで幸せなことだし、一方で、地方には自然環境が豊かであるとか食べ物がおいしいとか、別の幸せがあるでしょう。ただし、その中で変わらないものもあります。人間関係の重要性は都市も地方も変わりません。都市であっても、例えば、地震などが起きたときに助け合えないのはリスクだという意識が出てきていて、都市で地域のネットワークを作るのが大きな課題になっていたりします。私たちは、ソーシャルキャピタル(Social Capital)、社会関係資本と呼んだりするのですが、周りの人や社会への信頼を担保しておくと、どこにいても大丈夫だという安心感が生まれるのではないかと思います。文化や生活環境によって異なる部分もある一方で、そもそも人との関係がきちんとあることは根底として共通しているのだろうと思います。

レシピではなく地図とコンパスを提供する

—ウェルビーイング研究は、社会に対してどのような貢献ができるのでしょうか?

内田:ひとつはウェルビーイングの測り方ですね。ウェルビーイングを知りたいときに、測り方がいろいろあること自体はいいと思いますが、全体としてこれだけの軸があるということがわかるマップみたいなものが必要だと思っています。企業などではよく、休職しないとかストレスがなければいいといった目安が挙げられますが、「不幸ではない」というのは軸のひとつだと思うんです。「不幸ではない」以外にも、自己実現したいとか従業員の人はそれぞれイメージを持っているわけですから、全体を理解した上で「不幸ではない」を目指すとするかどうかですよね。だから、全体像を見た上で、会社、地域、自治体が「うちはここを大事にしている」ということをきちんと言ってくれれば、周囲の人も関わりやすくなるかもしれません。

ウェルビーイングの実現につながる要素は、生活環境によっても異なる。実際にその土地に赴いて何が大切とされているかを知ることも重要となる。

  残念ながら、誰もが絶対幸福になるレシピというのは実現できないと私は思うんです。例えば、心理学の調査で「自尊心を上げるといいですよ」とあったとしても、人によって自尊心の持ち方は違うので、それに向かうために自分は一体何をすればいいのか、絶対こうだと言えるものはなくて。人に褒められなければならない人もいれば、「自分はすごい」と鏡に向かって言い続ければいい人もいる。結局、どの辺りにゴールを定めて努力ができそうかとか、そういうことを示しているのだと思います。富士山に登るといいとアドバイスされても、登り方とか、何を持って行くかなどということは自分で考える必要があるわけで、そのためには自分の状態と社会の状態を知ることが大事になります。自分の状態って自分が一番わかっていると思っていても、意外にわかっていなかったりするんですよね。自己評価が間違っていると、岩場から登るのがいいんだと勘違いしてけがをしてしまうということもありえます。心理学にできることは、そのための尺度を提供して、状態を知ってもらうお手伝いなのではないかと思っています。でも、状態を知るお手伝いはできたとしても、どういうルートで行くかは自分で考える必要があります。

ウェルビーイングの対象や実現方法は、各個人で異なる。



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