頭で感じる幸せと体が感じる幸せのヒミツ
頭で理解する前に身体が勝手に反応してしまう–
その反応が感情の始まりであるといいます。身体と感情のメカニズムについて。情動の神経科学を研究している大石悠貴さんにお聞きしました。
大石 悠貴

答えてくれる人
大石 悠貴 主任研究員
NTT コミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部
専門:情動の神経科学

Q.大石さんの研究について教えてください。

A. 私は音楽が好きで、感動する音楽や気持ちいい音を聞いたとき、人間はどんなメカニズムで、そう感じているのか知りたいと思っています。ただ、最初に始めたのは、嫌な音の研究でした。黒板を引っ掻くとすごい嫌な音がしますよね。たかが音なのに、なぜ人間はこれほどまでに気持ち悪く感じるのだろうかと。黒板を思い立ったのは、実は、感動したときと黒板の音を聞いたときで共通する身体反応があるからなんです。それは鳥肌です。身体反応は同じなのに、なぜそれに対する価値判断がこうも違うのか、そこを調べたら面白いんじゃないかと思い、まずは黒板を引っ掻いてみることにしたんです(笑)。

Q.同じ身体反応でも価値判断が違うというのは?

A. 英語の「Emotion」の日本語訳には「感情」と「情動」の2つがあります。私は「情動は感情の動機付けである」と思っています。つまり、何かしら刺激があって、心臓がバクバクする、汗が溢れるなどの身体反応が生じます。それがいわゆる「情動反応」で、その情動反応に対して、人間が快・不快といった価値付けをしたものが「感情」だと考えています。先ほど挙げた鳥肌も、時には不快、時には気持ちいいと価値判断がされていて、何が違いを生み出しているのかはまだわかりません。でもそこに、音に対する感情のメカニズムを解き明かす鍵があるんじゃないかと思っています。
  脳には、大脳皮質と皮質下という部位があって、大脳皮質が感情に、皮質下が情動反応に関連します。目や耳から刺激が入ると、大脳皮質がそれが何かを認識すると同時に、刺激の情報は皮質下へ入力されて、心臓がバクバクするとか情動反応を起こします。そして、今度は大脳皮質が、身体の反応を「私は悲しいのだろう」とか「楽しいのだろう」と理解して、感情が生まれると言われています。この考え方は、100年くらい前にジェームズ・ランゲという人が唱えたのですが、現代においても、おそらく正しいと考えられています。  

Q.人間の快・不快といった感情は、どのように判定するのでしょうか?

A. それは難しくて、最終的には「どのくらい快でしたか?不快でしたか?」というアンケートに頼るしかありません。ただ、最近私が思うのは、人の主観評価が必ずしもすべてではないということです。
  それに関連した私の研究で、音楽のテンポの違いが人にどのような影響を与えるか調べたものがあります。人は、遅いテンポの曲を聴くとリラックスし、速いテンポの曲を聴くと興奮するというのが基本にあります。実験ではショパンの曲を聴いてもらいました。被験者からは、「リラックスした」とか、「クラシックは好きじゃない」とか、さまざまな主観的意見が出ました。しかし、結果として、主観評価とは関係なく、テンポのみに依存して心拍数が上下するという情動反応があったのです。つまり、主観評価とは異なるやり方で、曲のテンポが人間の身体に影響を与えているということです。私たちは、そのような脳機能を「潜在脳機能(Implicit Brain Function)」と呼んでいます。今までは主観評価と身体反応が一致するのが当たり前のように考えられてきました。しかし最近では、それがズレていることのほうが興味深く、主観や感情に対してなのか、情動反応に対してなのか、快・不快に対する考え方がだんだん変わってきています。  

Q.ストレスと身体反応の関係について教えてください。

A. 皮質下からの指令には、自律神経と呼ばれる意識的には制御できない神経で伝える方法と、血液でホルモンを運ぶという方法とがあります。ホルモンというのは、生体の中の情報伝達物質のことで、有名なホルモンとして、男性ホルモン、女性ホルモン、ストレスホルモンがあります。男性ホルモン、女性ホルモンは、身体的な男性/女性らしさだけでなく、生命維持を司るさまざまなものにも影響しています。
  ストレスホルモンの正体は、コルチゾールと呼ばれるもので、副腎皮質という部位で作られます。コルチゾールのひとつの役割として、細胞の異常発火を抑える抗炎症作用があります。ストレスによって体が受けるダメージを、あらかじめ抑えるという働きを持っています。現代社会はストレス社会と言われるように、体内でコルチゾールが生産されやすい場面が多くあります。コルチゾールは、血液に乗って脳に行き、脳細胞の活動も抑えてしまいます。これが何週間も続くと、だんだん神経細胞が変形して死んでしまうこともあります。だから、コルチゾール=悪いホルモンという印象が強まりました。

Q.ホルモンを研究する立場から考える幸せとは、どのような状態でしょうか?

A. 先ほど説明したストレスホルモンですが、そもそもそんなに悪いものなのかという議論があります。コルチゾールは、ストレスを受けたときだけでなく、朝目覚めたときに増える量が一番多く、その後、緩やかに減っていくという日周期があります。例えば、うつ病の方などは、そのリズムが崩れてしまっていることが多くあります。そういう意味で、人に共通して見られるリズムがあるかどうかというのは、幸せのひとつの指標と言えます。このような生体のリズムは、生活のリズムがないと成り立ちませんが、人間本来のリズムからズレないことが幸せで、ズレてしまうと不健康になるリスクがあって不幸せではないかと考えられます。もちろんリスク、つまり非日常的な経験を楽しむ人はいます。しかし、楽しいことと幸せなことはたぶん違っていて、究極の平凡こそが幸せを与えてくれるのではないかと、私は思っているのです。  


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