コントロールされた感情はどこまで自分のものか
食べ物のサイズがいつもより大きく見えると食べる量が減ったり、話し相手が笑顔だとポジティブに発言できる––
人の五感から入力されるさまざまな情報が、無意識のうちに影響し、人の気持ちや行動が変化する。現実を拡張した情報による人間の感情や行動への影響を研究している、鳴海拓志さんに話を聞かせてもらいました。
鳴海 拓志
鳴海 拓志

東京大学大学院情報理工学系研究科講師
バーチャルリアリティ/拡張現実感の技術と認知科学/心理学の知見を融合し、錯覚を活用して多様な五感を感じさせるためのクロスモーダルインタフェースや、五感に働きかけることで人間の行動や認知/能力を変化させる人間拡張技術等の研究に取り組む。博士(工学)。

現実を拡張した情報が無意識に行動や気持ちを変えていく

—鳴海さんがこれまでに取り組んできた研究について教えてください。

鳴海:私はこれまでVR(Virtual Reality)を使った五感情報提示の研究を行ってきました。五感の研究といっても、ある感覚の体験が別の感覚に影響を与えるクロスモーダルの研究が多いですね。例えば、映像をうまく操作して擬似的な触覚を生み出す「Pseudo-haptics」と呼ばれる分野や、AR(Augmented Reality)技術を駆使して、実際に食べようとしている食べ物の見た目と香りを変えて、その味も変わって感じさせるといった研究は、クロスモーダルを利用したものです。

Meta Cookie
AR技術を使用して、マーカーの入ったクッキーの見た目を変え、ノズルからにおいを提供することで味も変化したように感じさせる。


—最近はどのような研究をされているのですか?

鳴海: 人は五感を入力元として、判断したり、気持ちを変化させていて、五感をデザインすることで、人の行動や情動を変えることができます。例えば、拡張満腹感という研究をしていて、食べる物のサイズを実際よりも大きく見せると、すぐお腹いっぱいになって食べる量が減るんです。逆に小さくすると食べる量は増えます。ちょっと特殊な画像処理のテクニックを使っているんですけれど、ゴーグルをかけてもらってクッキーを3分の2の大きさに見せると食べる量が15%くらい増え、逆に1.5倍に大きくすると食べる量が10%くらい減りました。実験は見た目のサイズの変化に気がつかないように行っているのですが、無意識な視覚刺激の変化が、お腹の感覚である満腹感や、実際に食べるという行動、さらには食べたいという気持ちに影響を与えているということです。


偽の涙が情動伝染を引き起こし周囲もつられて悲しくなる

—目から入ってくる情報がいつの間にか、他の感覚や行動に変化を与えているのですね。他にも感覚が気持ちや行動を変化させる例はありますか?

鳴海: 研究室の吉田成朗助教との共同研究で、「涙眼鏡」というデバイスを制作しています。これは、涙のように目元から水が出る仕掛けを備えたメガネです。映像の特定のシーンでこの装置から涙を流すと、それが悲しくないはずのシーンであっても悲しく感じるのです。頬を伝う涙の触感が過去に泣いた経験を呼び起こして、悲しくさせてしまうのです。このデバイスがさらに面白いのは、ソーシャルな部分にも影響が出てくるところです。一般的なVRデバイスでは装着した人のみに影響を与えますが、涙眼鏡の場合、装置を装着していない人も「あの人、泣いてるんじゃないか」という状況を見ると、悲しくなってしまう効果があるのです。

—それは、感情の伝播のようなものが起きているということでしょうか?

鳴海: そうですね。この情動伝染と呼ばれている現象をうまく使うと、例えば、大きなスタジアムで10人くらいがデバイスを付けてライブを見れば、スタジアムの人全員が感動するみたいなことができるかもしれません。それとよく似た研究として、鏡に映る自分の顔をキャプチャして笑顔に見せるシステムがあるのですが、これを試着室に組み込んで鏡に映る笑顔の自分を見ると、試着したものが好きになっていくという効果があります。

涙眼鏡
目頭から偽の涙を流す機能を備えたメガネ。本人だけでなく、涙が流れる様子を見た他の人も悲しくなる効果がある。



笑顔を伝送することでビデオチャット会議が活発に

—情動伝染は物理的な距離を超えることはできるのでしょうか?

鳴海: NTT サービスエボリューション研究所と一緒にやらせていただいている「超現実テレプレゼンス」という研究があります。テレプレゼンスというのは一般的に、ありのままを送るということが正しいとされています。そこにメディアを使った表現拡張を挟むことで、コミュニケーションをより理想的なものにできないかというものです。
  最近は、ビデオチャットを利用した遠隔会議も増えてきました。その際、つまらない会議でも、盛り上がっているように伝送することで、遠隔で参加している人はその雰囲気につられて積極的にアイデアを出すかもしれないし、それを見た相手も「相手のテンションが高いから頑張ろう」と思うかもしれません。相手の表情を強制的に変化させるフィルターを挟んでビデオチャットを行う「スマートフェイス」というシステムを使った実験では、通常のブレインストーミングだと5分間で8個だったアイデア数が、お互いが笑顔に見える環境だと12個に増えました。相手が笑顔だと何を言っても受け入れられる感じがして、アイデアが出しやすい状況になったのだと考えられます。人はポジティブになれる環境を作ってあげると、最大限に能力を出せるのではないかと思います。
  「ソーシャルタッチアバター」というシステムの実験では、ビデオチャットの相手を女性のCGに置き換え、声をリアルタイムに女性の声に変えます。その際に、装置の前面に装着した手が動いて相手を撫でる仕掛けになっています。実験では、チャットの体験者は男性で、すごくつまらない単純作業を依頼されるのですが、このシステムを通して依頼されると作業の継続時間が増えるという結果が出ました。

スマートフェイス
ビデオチャットの相手の表情を強制的に変化させるシステム。笑顔を介してチャットを行うと、話が活性化するといった効果がある。

相手に触れるのはコミュニケーションにおいて重要な要素で、このソーシャルタッチを介するだけで、依頼を受けてくれる確率が上がったり、やってくれる量が増えたりする効果があります。これは異性からの依頼だと起こりやすく、同性だと起こりにくいということが知られています。ちなみに、ソーシャルタッチアバターの実験では、声を女の子にしただけでは効果は少なく、撫でるだけでもダメでした。

ソーシャルタッチアバター
ビジュアルや声に加えて、遠隔で相手を撫でるソーシャルタッチを備えたデバイス。

—人の感覚に影響を与えることで、感情や行動をコントロールすることができる可能性があるわけですね。

鳴海: 人の感情のコントロールには、面白い面も怖い面もあります。そもそもユートピアとディストピアには紙一重なところがあって、人からコントロールされたらディストピアかもしれませんが、自分が理想的な方向に行けるのであれば、それはユートピアだと思うんです。そこをどうやって自分のコントロール下に置いていくかというのは、ユートピアを考える上ですごく大事なことではないかと思っています。


Copyright © NTT