視覚障がい者と晴眼者が一緒にスポーツを観戦するには、どのような方法があるでしょうか? 言葉による中継が一般的ですが、競技のダイナミックさは十分に伝わらず、タイミングがずれるため応援の一体感も生まれません。
視覚障がい者と一緒に美術を鑑賞し、そこでの対話から作品の新しい見方や意味を発見する「ソーシャル・ビュー」という手法があります。NTTと東京工業大学では、それを参考にした新しいスポーツ観戦のあり方「スポーツ・ソーシャル・ビュー」を提案しています(ふるえ20号参照)。スポーツの中で起きていることを、晴眼者が身体感覚を通じて表現し、それを視覚障がい者と共有するのです。
例えば、テニス中継では、テニスコートに見立てたテーブルを挟んで晴眼者と視覚障がい者が座り、選手が球を打ち合うリズムと場所に合わせて、晴眼者がテーブルを叩きます。視覚障がい者はテーブルに両手を置くことで、テニスの独特のリズムやかけ引きを感じることができます。
この試みを続ける中で、身体感覚でスポーツを表現するためには、スポーツの本質を捉える必要があるという発見がありました。そこで、専門家を招いてそのスポーツの本質を探り、日用品を使った体験に“ 翻訳” するプロジェクト『見えないスポーツ図鑑』がスタートしました。視覚障がい者だけでなく、晴眼者にとっても新しいスポーツとの接し方が見つかりそうです。
Member
伊藤亜紗 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院
林阿希子 NTTサービスエボリューション研究所
渡邊淳司 NTTコミュニケーション科学基礎研究所、本誌編集長
巧みなラケットさばきと高速なラリーが魅力の卓球。その本質を探るべくお呼びしたのは、静岡大学教育学部教授の吉田和人氏。オリンピックに向けた科学サポートなども担当されています。さて、試行錯誤の結果は!?
Section 1 レクチャー - 卓球では聴覚と触覚も大事な情報 -
卓球は、テンポの良いラリーに加えて、ボールに回転をかけることも大きな特徴だが、ボールの回転は見た目ではわかりづらい。そこで重要となるのが、ボールを打ったときの音と、ラケットから伝わる感触なのだそうだ。従って聴覚と触覚が、打球やプレーの精度を高めるためにとても重要となる。
Section 2 試行錯誤 - 打ち方、テンポ、ボールの回転 -
ボールに上回転を与える打ち方が「ドライブ」、下回転を与える打ち方が「カット」。ペットボトルを手で持ってボールに見立てて打ってみるが、打ち方の違いはうまく伝わらない。子供用玩具のスポンジの棒を水平に持ち、両端をスリッパで打つと、音とテンポ、ボールの回転はどうにか伝わるが、回転のかけ方の微妙な違いがわからず、しっくりこない結果に。
Section 3 卓球の翻訳 - 予想がつかない“巻き込まれる”感覚へ -
検証しながらふと手に取った、木製の鍋蓋。取っ手が縦に1本付いているが、指でつまむことしかできないため、やや持ちにくい。この蓋を1人が手に持ち、ほかの2人がスリッパでドライブやカットを交互に行ってみる。すると、回転の強弱まですごくよくわかるようになった。蓋の持ちづらさから「飛ばされないようにしなくては」という緊張感も生まれる。この自分では制御できない卓球の世界に“ 巻き込まれる” 感覚は、スポーツを翻訳する上で新しい発見となった。
鍋蓋を打つと、ボールの回転が直接感じられるだけでなく、その不安定さが観戦者の能動的な関わりを引き出し、卓球の世界に巻き込まれる感覚を生み出す。
総勢30人の屈強な選手が、猛スピードで移動し、ぶつかり合うラグビー。名門・筑波大ラグビー部の監督も務めた筑波大学体育系准教授の古川拓生氏を招き、競技の本質を探ります。
Section 1 レクチャー - 争奪戦と展開戦 -
ラグビーは、味方でボールを回しながら進む「展開戦」に「争奪戦」が加わるのが特徴だ。例えば、サッカーではボールが出て中断してもすぐに展開戦に進むが、ラグビーではボールを持った選手が倒されると「ラック」などのボールを奪い合うプレーが入る。争奪戦と展開戦を繰り返し、前へと進んでいく陣取りゲームがラグビーなのだ。
Section 2 試行錯誤 - 共同作業と翻訳者の視点 -
争奪戦であるスクラムには、実は相手選手との共同作業という側面もあるという。そこで、キッチンペーパーのロールを腰に当て、2本が横に連なる状態で2人で挟み、落とさないように押し合ってみた。共同作業の必要性も生じ、なかなか面白い感覚だ。次に展開戦。ビニール紐をピンと引っ張って持ち、試合展開に合わせて押す場所を前後左右に変えていくと、選手の移動やパスが表現できた。さらに選手が倒れ争奪戦になったら、紐を下方に押しながら揺らす。パスを回しながら展開し、ボールを争奪するという、試合の流れがイメージできてきた。
Section 3 ラグビーの翻訳 - ラグビーを総合的に感じる -
争奪戦と展開戦という2つの要素の変化は、一人称から俯瞰へという視点の変化を伴う。そこで翻訳者を2人にして、争奪戦の押し合いはおでこで支えたキッチンペーパーを押し合い、その後に別の翻訳者が紐で展開戦を表現することで、総合的にラグビーを感じることができた。
争奪戦はおでこで支えたキッチンペーパーの押し合い、展開戦は別の翻訳者が紐で表現する。
自然のエネルギーを推進力に変えて水上を滑走する競技、セーリング。波や風といった自然の変化に対応する操作をどうやって表現するか? 参加していただいたのは、経験豊富なセーラー、創価大学教育学部教授の久保田秀明氏です。
Section 1 レクチャー - 風を読み、波に乗る -
セーリング・ヨットで用いるのは、帆を縦に張る「縦帆船」の仲間。セーラーは、頬に当たる風、帆の様子、お尻に伝わる船体の揺れや傾きなどから風と波の変化を感じ取り、手に持つ「シート(ロープ)」と「ティラー(舵柄)」を操作してヨットを走らせる。ヨットの進路が振れる前に、あらかじめ「当て舵」をして蛇行しないように操作し、最も効率の良い走り方を目指す。
Section 2 試行錯誤 - 船を操る動作を個別に翻訳する -
まず、3つ重ねたクッションに座って紐を引っ張り合い、不安定な船上でのシートの操作を再現。不規則に転がる筒状のおもちゃを落とさないようにしようとすると、板の傾きと転がる動きの時間差で、舵を切ってから曲がるまでのタイムラグが再現された。片手で紐、片手で板を持てば、シートとティラーでヨットを操作する感覚に近づいた。
Section 3 セーリングの翻訳 - 複数の要素を同時に操る -
船体の傾きが大きくなりそうなとき、セーラーは体を艇の外に乗り出して傾きを抑える。その際に海に落ちないように足先を引っかける「フットバンド」を長い筒で代用して、その状況を擬似的に再現。板の上のおもちゃの筒は、転がりやすい小さな木の球に変えた。不安定な水上で舵と帆を操作し、風の強さに合わせて体重を移動、これらを同時に行うことでセーリングのベーシックな感覚が翻訳できた。
不安定な状態でさまざまな動きを同時に行うセーリング。意外なグッズを組み合わせて翻訳することができた。