スポーツとウェルビーイング
渡邊淳司
NTTコミュニケーション科学基礎研究所 上席特別研究員/本誌編集長
今号のふるえでは、スポーツ(およびeスポーツ)におけるウェルビーイング(Wellbeing)について考えていきます。スポーツにおけるウェルビーイングの要因には身体の機能向上だけでなく、スポーツ観戦における、アスリートと観客、観客と観客、といった「人と人のつながり」があります。人同士がつながりにくくなった新型コロナウイルス蔓延下において、スポーツにおけるつながりはどのように変化していくのでしょうか。
スポーツが内包するウェルビーイングの要因
新型コロナウイルスの蔓延は、スポーツのあり方に大きな変化をもたらしました。スポーツをする側にとっては、集まって体を動かしたり、人と接触したりすることが制限され、観る側は大勢で集まり歓声を上げて盛り上がることができなくなっています。スポーツには元来、プレーしたり観戦したりすることで、個人としての楽しみを提供するほか、他者や社会との関わりを生み出す力があり、それは人々のウェルビーイングの要因となるものでした。
ウェルビーイングと「食」について述べた前号でも説明しましたが、ウェルビーイングには、[1] 心身の機能に関わる「医学的ウェルビーイング」、[2] 気分の良し悪しや快・不快などに関わる「快楽的ウェルビーイング」、能力の発揮や周囲との関係の中などで生じる「持続的ウェルビーイング」という3つの領域があります*1。現在注目されているのは[3]の持続的ウェルビーイングの要因で、自律性や没頭の感覚など個人内の要因(「I」)、特定の他者との関係性で生じる要因(「We」)、不特定の他者を含む社会的要因(「Society」)といったカテゴリーに分類されます*²。
では、スポーツにおける「I」「We」「Society」の要因には、どのようなものがあるでしょうか(図1)。「I」には、新しい動きや感覚を手に入れる自己効力感や勝負に勝つ達成感などがあります。「We」は、チームの仲間と一緒にプレーするだけでなく、対戦相手と力を出し合って1つのゲームを作り上げるという要因もあります。例えば、ラグビーのスクラムは味方と敵が、お互いに正面から押し合うことで初めて成り立つプレーです。また、観る側にはアスリートへのつながりがあります。卓越した技術を持つアスリートへの尊敬や共感。さらに、観客同士も、同じチームを一緒に応援することで、人と人とのつながりが強くなります。「Society」では、地元チームを応援することで生まれる地域とのつながりなどがあり、スポーツはコミュニティを生み出します。
また、スポーツには共生社会に向けた課題解決の手段としての側面もあります。感覚や身体の特性が異なる人同士が一緒にプレーする、一緒に観戦することで、共同で何かができる場を提供し、感覚や身体の違いを超えてつながるきっかけを生み出します。例えば、本誌Vol.20で取り上げた、視覚障がい者と晴眼者が一緒にスポーツ観戦を楽しむ「スポーツ・ソーシャル・ビュー」はその一例と言えます。
[図1] 一般的なウェルビーイングの「I」「We」「Society」のカテゴリーに当てはまるスポーツにおけるウェルビーイングの要因の例。
新型コロナウイルス蔓延下でのスポーツにおける新しいつながり方
持続的ウェルビーイングの要因である「つながり」は、新型コロナウイルスの影響により、これまでの形を変えざるをえない状況となりました。このとき触覚を伝送/共有するテクノロジーは、選手と観客、観客と観客をつなげる新たな方法を提供します。
一つ例を紹介します。2020年9月に無観客で開催された第73回全日本フェンシング選手権決勝戦(女子エペ)において、NTT 西日本グループが研究所の協力の下、試合会場の選手と別会場で応援する家族が画面越しにハイタッチする「リモートハイタッチ」を実施しました。それぞれの会場の映像提示装置の前に透明のボードが設置され、そのボードの振動が別の会場の透明ボードを震わせます。映像と共にハイタッチの触感を伝送することで、試合前の選手の気合いや家族からの応援、試合直後の喜びやねぎらいなど、遠隔で気持ちを分かち合う体験が実現されました(図2)。選手からも「試合の直前・直後に家族とハイタッチできるなんて感動!力になりました!」という感想がありました。
このように、テクノロジーを介在させることで、スポーツにおける持続的ウェルビーイングの要因へのアプローチを広げることができます。物理的な接触がはばかられる時代の新しい生活様式や共生社会に向けてのスポーツの役割、さらにはスポーツの楽しみ方の枠組みの拡大など、スポーツにおける人と人、人と社会のつながりにも新しい可能性が見えてきています。そして、そのスポーツの楽しみの広がりは物理世界だけでなく、情報世界へも広がっています。
近年はeスポーツというジャンルが世界的に注目され、スポーツとしてカテゴライズされつつあります。競技としての独自の魅力はもちろんですが、従来のスポーツと共通する要素もあるでしょう。次項からは、eスポーツが持つ魅力と持続的ウェルビーイングの要因に着目し、スポーツとしての楽しみ方を探ります。
[図2] 第73回全日本フェンシング選手権で実施された「リモートハイタッチ」のイメージ図。振動を伝送することで、単にモニター越しにハイタッチのポーズをするだけでなく、感触も同時に伝わる。
*1 Calvo, R. & Peters, D. (2014)『Positive Computing–Technology for wellbeing and human potential』 MIT Press.(邦訳:『ウェルビーイングの設計論 - 人がよりよく生きるための情報技術』渡邊淳司、ドミニク・チェン 監訳/ BNN /2017)
*2 『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術』 渡邊淳司、ドミニク・チェン 編著・監修/ BNN(2020)
目次
発行日 2021年1月1日
発 行 日本電信電話株式会社
編集長 渡邊淳司(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)
制 作 原 輝明(NAKED Inc.)
編 集 矢野裕彦(TEXTEDIT)
デザイン 小山田繭子(NAKED Inc.)、岩瀬知子(NAKED Inc.)